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磐田南高校80周年 磐田が原の台地に

第2部 部活動、今昔 水泳部(上) 五輪メダリストを輩出

ベルリンから地元に凱旋した(左から)杉浦、寺田、牧野の3選手。町中総出の大歓迎だった

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 見付中学草創期の生徒が地面を掘って造成した、同校自慢の五十メートルプール。このプールからは、オリンピックメダリストが三人も飛び出した。牧野正蔵、寺田(結婚して伊藤)登、杉浦重雄の三選手だ。プールが完成したのは大正十五年。さっそく水泳部ができて、翌昭和二年の夏には県中学対抗水泳競技大会で優勝。見中水泳部の輝かしい歴史が始まった。

 そして、草創期の水泳部で忘れてはならない存在が、小林寛教諭。「まだ独身だったから、給料を全部水泳部につぎ込んでいた。本当にいい先生だった」と当時を知る水泳部員は口をそろえる。「小林先生のために」。部員の思いは一つになった。マネジャーだった稲垣丈夫さん(93)=磐田市西町、中二回卒=、山内克巳さん(90)=磐田市草崎、中三回卒=も、小林教諭の片腕となり、後の五輪メダリストをびしびししごいた。

 こんなエピソードも。昭和六年に入学した杉浦選手は「わんぱく少年」。停学になりそうなのを、山内さんが引き取って家に下宿させながら、水泳を指導。「よく迷惑をかけた相手などに謝りに行きました」と山内さんも苦笑いで振り返る。

 圧巻なのは昭和十一年のベルリン五輪。牧野、寺田、杉浦の見付中トリオがそろって出場。寺田選手は千五百メートル自由形で、杉浦選手は八百メートルリレーの一員で見事優勝。牧野選手も四百メートル自由形で三位に食い込み、ロサンゼルス五輪に続いて二大会連続でメダルを獲得した。地元磐田では町中が大騒ぎ。稲垣さんは「寺田の優勝を聞いたときは私の家に関係者が集まっていて、床が抜けるかと思うくらい大騒ぎしました」と目を細める。

 尾崎楠馬初代校長の掲げる文武両道を実践した三選手の活躍は、水泳記念館としてプールサイドに残り、合宿所などに利用された。記念館ははぐま会館建設のために姿を消したが、平成三年には三選手をたたえるレリーフを制作。今でもプールサイドで現役生の活躍を見守っている。

磐南を語る 2年 森口 朋美さん

 少し前に入学したのだと思ったら、早くも二年生になった。一年たった今でも、私の磐南に対するイメージは変わらない。「厳しくて楽しい」。八十年という長い歴史が培ってきたこの厳しさが、とても良いと思う。束縛がなければ、自由を求めないでしょう? 苦しみがあるから喜びが生まれるのでしょう? だからこの生徒に対する厳しさが、学ぶ意欲を、何かに対する情熱をかき立ててゆく。それを忘れずに、今日明日を生きてゆきたい。

(文中敬称略)

 

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