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磐田南高校80周年 磐田が原の台地に

第1部 校史 はぐま祭 創造や発想を培う

生徒会主催の和風喫茶「風流会」。浴衣姿の女生徒が給仕する=昭和47年の「はぐま祭」で

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 南高生の血を騒がせる文化祭。昭和三十七年、創立四十周年の節目に「はぐま祭」の名称が与えられ、同校名物として今に続く。

 このころの生徒は、いわゆる団塊の世代。翌年四月に赴任して生徒会の指導を担当した教諭、熊谷薫さん(69)=磐田市緑ケ丘=は「少しずつ高校生の気質が変わってきたころ。自分の意見を主張するようになった」と話す。

 数年を経ずして、全国で世界で学生運動が吹き荒れる。七〇年安保を前にした昭和四十年代前半は冷戦構造の真っただ中で、熱い政治の時代でもあった。学生は自己主張し、自らのエネルギーを学校で爆発させた。南高も例外ではなかった。校則の改正や制服の自由化などを求めて、生徒と教師が意見を戦わせた。しかし、「うちの生徒は一方的に意見を言うだけでなく、学校側の意見にもしっかり耳を傾けた」と熊谷さんは振り返る。

 南高の生徒がエネルギー発散の場に選んだのが「はぐま祭」だった。進学熱が高まった昭和四十三年には、それまでの九月から六月開催に。このころから生徒が独自に企画し、自主的に運営する文化祭へと変わってきた。「教師が口を挟むことは少なかった。HR展もこのころが始まりで全校生徒で盛り上げようという雰囲気だった」と熊谷さん。

 この時期に生徒会長として、はぐま祭の陣頭指揮に立った鈴木多賀雄さん(49)=神奈川県城山町、高二十三回卒=は「個性的な展示が多かった。自分たちの時代はポスト学生運動に当たり、学校生活の新たな目的が芸術や音楽に傾いていた」と懐かしそう。

 自由にものを言える雰囲気だったが、質実剛健はいささかも揺るがなかった。冬でも靴下をぬぐぞうきん掛けは、当時も健在。「校訓が表す“ますらおぶり”と自由な雰囲気。この硬軟のバランスの良さが時代に合っていて、磐南OBの活躍につながっているのでは」と話す鈴木さんは現在、大手の電気機器会社の商品開発部門で活躍中だ。「はぐま祭の企画などで培った創造や発想の力が、今でもいかされています」と胸を張る。

磐南を語る 2年 入谷 聡さん

 磐南生はうかつな行動ができない。町に出ると地域住民の目が光っており、非行・不適切な行為は厳しく指摘されるからだ。しかしそれは、私たちにかけられる期待と信頼の表れではなかろうか。学力の面、モラルの面で高く評価され、私も入学前から良い評判を聞いてきた。そしてそれに恥じないものが、実際に磐南生にはある。私は社会に出ても、母校・磐南の名に負けぬ良識ある大人でありたい。

(文中敬称略)

 

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