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磐田南高校80周年 磐田が原の台地に

第1部 校史 学制改革 『男女平等って快適』

南高に編入した最初の女子生徒

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 見付中学一年鳥山昭好さん(69)=磐田市草崎、高三回卒=は、終戦を告げる玉音放送を遊び場の神社で聞いた。昭和二十年八月十五日。せみ時雨のあの日を「敗戦の意味はよく分からなかったけど、みじめなもんだなあと感じた」と振り返る。

 見付中の再出発は校舎を生徒自身の手で造ることから始まった。空襲をくぐり抜けた創立以来の校舎が動員先から戻る生徒らを受け入れるのには、手狭になったからだ。近くに駐屯していた陸軍第百二十九部隊の兵舎廃材を生徒が運んで校舎を建てた。物資も極端に不足した時代。進駐軍が振りまくチョコレートや漁を手伝って分けてもらった一匹のアジが貴重な食料。「校舎を造っているか、畑を耕しているかだった」と鳥山さん。

 そんなあわただしい状況も落ち着いた昭和二十三年、6(小学校)・3(新制中学校)制の新学制が施行される。見付中学は磐田第一高校に、翌年には現在の磐田南高校と名を変えた。

 昭和二十四年四月、以前の見付高女の女子生徒のうち、約五十人が南高に編入。「春休みになって無試験で編入できると知り、十日ほどで決めた」と最初の女子生徒、鈴木ま起さん(68)=磐田市国府台、高四回卒=は説明する。

 まだまだ、男性優位の社会だったが、男子は机を並べることになった女子生徒にとても親切に接した。アメリカ“直輸入”のレディーファースト思想からか「男女平等って快適」と鈴木さんは感じたという。今でも同窓生が集まると「あのころが一番バラ色だったわね」と意見が一致して笑いがあふれる。

 当時の生徒たちは、充実した学校生活を送っていた。理数系の生徒は「科学展」を独自に開催。文系の生徒も音楽会や芝居の上演などで活躍。男子が難しい思想の本を抱えていると、負けじと女子も勉強会に参加。「みんな貧しかった。せめて精神的に豊かになろうと頑張った」と鈴木さん。

 そんな学校生活で仲間意識ははぐくまれ、同校の歴史の中では初めての同級生カップルが二組生まれた。鈴木さんと夫の元臣さん(68)=旧姓、杉山=もその一組。「今でも一緒に同窓会には参加しています」と鈴木さんは目を細める。

磐南を語る 3年 高橋 幸子さん

 三年間、磐田南高校で勉強して先生方から繰り返し学んだことは、考え続けることの重要性です。解答を見れば十分で理解できる問題を、独力で解けるまで一日でも二日でも考え続ける。一見効率悪く感じられるこうした努力こそが、真の学力の養成につながることを知りました。私は四月から医師を目指して大学で学ぶことになりますが、学びの本質としてのこのことを忘れずに、知性を磨いていきたいと思います。

(文中敬称略)

 

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