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磐田南高校80周年 磐田が原の台地に

第1部 校史 創立 一隅を照らす人になれ

シルクハット姿の尾崎校長の人形が貝の中から現れた大正11年の開校式

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 大きな貝の中からシルクハット姿の人形が両手を挙げている。大正十一年、当時の磐田郡見付町「史跡公園」北に開校した見付中学校。生徒は「ヴィーナスの誕生」を模したオブジェクトで、スタートを祝った。

 貝の中の主役は、初代の尾崎楠馬校長。愛きょうのある顔をしているが、実際には厳しい校長だった。「勤労作業を奨励して質実剛健の気性を養う」−。校訓の「質実剛健」は開校式の尾崎校長の式辞に登場する。

 「寒くても靴下はだめ。手を突っ込むから、制服にはポケットはなし」。関吉太郎さん(93)=島田市元島田、中1回=は振り返る。尾崎校長自身も、冬は手袋を着けず握りこぶしで登校した。厳しい教育方針が、質実剛健の精神をはぐくんだ。

 校内の美化にもうるさかった。生徒は早朝の暗いうちに登校して、授業が始まる前に教室や廊下を掃除。しかし、なぜ未明から? 関さんは明かす。「人に知られないようにやってこそ奉仕」。学問だけではない“真の人間教育”を標ぼうしていた尾崎校長の考え方は、自然と生徒にも身に付いた。

 こういった校風や労作作業などで代表される草創期だが、こんなエピソードも。漢文の「日本外史」で平重盛が劇的に死ぬ場面を、尾崎校長がテキストを見ずに朗読すると、生徒とともに感極まって泣き出した。関さんは今でもこのシーンを暗記している。「当時は、みんな純粋でした」

 草創期の“見中”生徒の精神的な支えだった尾崎校長。最初の卒業式で激励した。「名誉ある人間でなく、一隅を照らす人間になれ。百姓なら日本一の百姓に。左官なら日本一の左官を目指せ」。昭和十八年に建てられた、当時の橋田邦彦文部大臣の筆になる「尾崎先生頌徳之碑」が、校舎の片隅で現在も「磐南生」の活躍を見守っている。

磐南を語る 3年 鈴木 雅也さん

 卒業にあたって、あらためて磐南が生徒一人一人の手で築かれていることを強く感じている。生徒会長として企画運営した「はぐま祭」。それぞれの思い・パワー・アイデアがあふれ、ぶつかり合い、連日のトラブルや衝突の中から素晴らしい一体感が生まれた。みんなで一つのことをやり遂げるのは難しいが、それをやり遂げたときの喜びは大きい。私は今、磐南を卒業することを誇りに思っている。そしていつか、磐南が私を誇りとする日が来ることを目指すつもりだ。

(文中敬称略)

 

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