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引佐高校100周年 いなさの丘に第2部 OBは語る(15) 中村 準志氏 生きる道 教わった
細江町社会福祉協議会長で元町議会長の中村準志(66)=五十回生、同町気賀。「人の生きる道を教えてくれたのが先生たちだった」と話す。 ミカン農家の長男で、一九五〇(昭和二十五)年、農業科へ入学。一年は野球部、二年からテニス部に所属。「野球部時代、秋の大会で強豪浜商に勝ったのが忘れられない」と言い「三年間運動ばかりしてあまり勉強した記憶がない」と笑う。 行動力があり曲がったことのきらいな中村は同級生の信望も厚かった。五三年卒業、農林省柑橘試験場(清水市)技術員となり、ミカン栽培を研究。一年後、当時教員の樽井参思郎(75)=同町三和=に誘われ、母校の農業助手として三年勤めた。 助手時代、元校長の小池謙吾(73)=森町=の下で主に畜産を担当。担任で仲人の本居秋津(故人)も人生の師だった。「先生たちには人として何をするかでなくどう生きるかを教えてもらい、今日の自分がある」 五七年に家業を継ぎ、水田の共同管理、それで余った労働力を利用して七四年から十五年ほど町内でブロック製造会社を経営。さらに伊目地区のほ場整備と、率先して地域づくりに奔走した。 七九年からは町議五期、九七年から議長を務めたがこの間「住民のため」を貫いた。今は町の福祉向上に尽力する中村だが「人とのつながりはいつまでも大切にしたい」と語る。 (文中敬称略) PR情報 |
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