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引佐高校100周年 いなさの丘に第2部 OBは語る(6) 沖村 清氏 町議5期 地域に尽力
家業の製茶業の傍ら、土地改良理事、町会議員を長年務め、人のため地域発展のため尽力してきた沖村清(83)=三十三回生、細江町中川。「父の急逝で家業を継ぐ時、学校で学んだことが役立った」と振り返る。 不景気だった昭和初め。沖村もまた、高校へ進学したくても家が貧しく難しかった。見かねた親類の手助けで一九二四(昭和九)年、引佐農学校に入学。のびのびした同級生の一人に元衆議院議員の斉藤正男=浜松市広沢=がいた。「声が大きく優秀だった」。一年生から浜松市三方原で果樹園の開墾作業があった。「きつくて手はまめだらけだった」 卒業前、多田実校長(故人)に「平壌師範学校へ行かないか」と誘われた。学校の技術を生かし、志願兵を養成するためで、沖村は喜んで話を受け、三六年から平壌へ渡った。 終戦で朝鮮半島から故郷へ戻るとまもなく、父荒治が倒れ、沖村は製茶の仕事を継いだ。「学校で学んだ茶の手もみ技術が何年ぶりかで生きた」。四八年に中川村議となり、その後町議を五期務めた。 六九年から九二年まで三方原用水土地改良理事も務め、三方原台地の改良に奔走。妻まさ子(77)は「これからは自分のために過ごしてほしい」と言う。沖村は「父が亡くならなかったら先生を続けて、母校の教壇に立っていたかも」とつぶやいた。 (文中敬称略) PR情報 |
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