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引佐高校100周年  いなさの丘に

第2部 OBは語る(1) 樽井 孝蔵氏 三方原開拓の原点

 一九〇二(明治三十五)年の創立以来、一万三千人を超す卒業生は、農業を支え、発展させる一方、政治や教育などあらゆる分野で活躍している。第二部では卒業生の姿を通し、母校の思い出、後輩への期待を紹介する。

    ◇

 学校が自分の人生を決めた−。卒業後六十年以上たった今も樽井孝蔵(81)=三十四回生、浜松市根洗町=は、三方原台地の開拓、茶業振興一筋の日々を振り返る。

 細江町石岡の農家に生まれ、三四(昭和九)年に引佐農学校へ入学。当時の校長が多田実と言い「“ただみのる”とは農学校にぴったり」と思ったという。そんな樽井の人生を決めたのは、卒業前に開かれた満蒙開拓青少年義勇軍訓練所の講師加藤完治(故人)の講演会だった。

 加藤の訴える「荒れ地を耕し作物を育てる農業の取り組み」に「自分の道はこれしかない」と共鳴。三七年三月の卒業式にも出席せず茨城県の養成所へ。農学校の教科書と首っ引きで畑仕事に汗を流しながら、農業の厳しさを体験した。

 終戦後、樽井はふるさとへ戻り浜松市北部の三方原台地約六十ヘクタールを訓練所時代の仲間らと開墾。「最初のうち麦を植えても伸びず苦労ばかりだった」という荒れ地を、引佐高の校訓「勤労愛好、質実剛健」を心の支えに奮闘、農地に生まれ変わらせた。

 その後「実のある作物より葉っぱならだれでもできる」との発想で茶栽培を始め、五十年の月日が流れた。この間、地元開拓農協組合長を務め、茶栽培の防霜システム開発と茶業発展に奔走してきた。

 最近体調を崩し、妻ち江子(77)の手を借り茶畑を見るのが毎日の楽しみ。「引佐農学校時代はみんなが目標に向かって頑張った。今の若い人も自分の目標をもって生きてほしい」 

(文中敬称略)

 

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