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引佐高校100周年  いなさの丘に

第1部 歩み(5) 学校変遷 時代担う人材育成

時代の要請にこたえるため施設整備が進められていった昭和初めの引佐高の校舎風景

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 開校以来、年々学校施設や教育内容は充実、高等教育の拠点として周囲の期待は高まっていった。それはあたかも大切な作物をはぐくむかのよう。明治、大正、昭和と時代は移っても先輩たちの学校に対する熱い思いは変わらなかった。

 校史をひもとくと引佐高は多くの変遷を経た。一九〇五(明治三十八)年に奥山村が組合に加わり一町五村で運営。一九一八(大正七)年から郡立となり、校名も組合立引佐農業学校から郡立引佐農林学校に変更された。二二年に県立へ移管、二六年に県立引佐農学校と改められた。

 学制改革で四八(昭和二十三)年、気賀高等女学校との合併を機に引佐高校の校名がついた。五一年に普通部の気賀高女が独立し、気賀高校となったため引佐高は引佐農業高校に変わった。そして六三年に現在の引佐高校に。

 長い歴史を積み重ねる中で同校は、農業科に定時制を併設(四八年)、五〇年には浜松市北庄内に庄内分校(六七年に浜松湖東高校として独立)を開設するなど時代を担う人材育成の拠点として貢献した。

 終戦時の四五年に卒業しその後、母校の教壇に長年立った名倉真五郎(74)=細江町気賀=は「先輩らの苦労話を聞くたびに母校をもり立てようという気概を感じた。授業に臨む生徒たちの印象はとても真摯(しんし)だったことを覚えている」と振り返る。

 学校名は変わっても、時代に求められる人材の育成に力を入れるという方向は今も変わっていない。

(文中敬称略)

 

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