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引佐高校100周年  いなさの丘に

第1部 歩み(8) 新たな学校への模索 総合型の職業高へ

1982年に文部省の研究開発指定校となった際、学校玄関に掲げられた看板=引佐町金指の引佐高で

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 一九七〇年代、社会は自動車や電気機器を中心とした工業が栄え、コンピューターなど先端技術を中心とした産業が芽吹く半面、農業関係は停滞が続いていた。

 農業後継者の若者も普通科を目指すという傾向が全国的に目立った。引佐高も例外でなく、目標を持って農業科を目指す生徒が減少、「公立高校だけは卒業したい」という生徒が多くなっていった。

 学校では、目的意識のない生徒、授業についてこられない生徒が増えた。たばこを吸い、形の変わった制服を着てくるなど風紀も乱れた。

 当時教頭で今は浜松市内の幼稚園長を務める原野谷末雄(70)=浜松市領家=は「授業中も休み時間みたいだった」。

 そんな状況の中で文部省、県も新たな職業高校のあり方を模索していた。たまたま文部省教科調査官の平井真一(65)=愛知県豊川市=と、県教委企画総務課長として学科見直しを進めていた樽井参思郎(75)=細江町三和=がともにOBだったこともあって「引佐高をなんとか時代に合った職業高として研究を」と話がまとまった。

 八〇年から二年間、文部省研究委嘱校として研究が行われた。国、県、学校に県内農業高関係者を交え地域の産業変化、社会の要請を考慮して検討を重ね、農、工業科の枠をこえ新しい総合型の職業高の構想が出来上がった。

 樽井、平井は「素晴らしい構想を単に研究だけで終わらせるのは惜しい」と八二年から研究開発指定校とし、引佐高は総合型職業高のモデルとして

(文中敬称略)

 

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