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引佐高校100周年  いなさの丘に

第1部 歩み(6) 悲運の女子部 志半ばで学校去る

1918年、女子部廃止の年に行われた最後の卒業写真

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 一世紀になんなんとする歴史の中には、男女同権の現代からは考えられないような出来事もあった。

 一九一八(大正七)年、学校組合立から郡立への移管を機に、十数年間、将来の農業婦人を輩出してきた女子部が突然廃止に。三年生は卒業できたものの、一、二年生は志半ばで学校を去ることになった。郡立移管には、悲しみが入り交じった。

 女子部は「これからの女性も農業の担い手として学問は欠かせない」と一九〇四(明治三十七)年、学則を改正して設置された。この年、希望を胸に五十人が入学した。授業は修身、国語、算術、理科、養蚕のほか、女子部のこととて家事、裁縫も。女子部の生徒たちは「男子生徒に負けまい」とことのほか熱心に授業に取り組んだという。

 女子部廃止の年の卒業生は十八人。この中の一人、伊藤よし子(引佐町、故人)は同校八十周年記念誌に「母校がなくなるぐらい大きな悲しさで、言葉に表せない寂しさがあった」と当時の思いを書きつづっている。

 同校を一九四二(昭和十七)年に卒業し、現同窓会長を務める樽井参思郎=細江町三和=は「当時、社会的な流れもあって男子校が主流。その中で女子部があったことは先進的だったのではないか」と語る。

 女子部廃止から三十年後。新憲法には男女平等が明記され、学校には再び女生徒の姿が。これを一番喜んだのは伊藤だったかもしれない。記念誌にはこうも記されている。「これからの女生徒は教養を高め、農業の管理、経営に夫のよき相談相手となれる賢明さを持って」 

(文中敬称略)

 

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