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引佐高校100周年  いなさの丘に

第1部 歩み(3) 創立者・伊東要蔵氏の奮闘 夢実現へ積極行動

ひいおじいさんの伊東要蔵さんについて語る伊東真英細江町長=同町役場で

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 引佐高校創立者伊東要蔵のひ孫に、細江町長の真英(50)=同町中川=がいる。「心が広く何ごとにも積極的。特に教育熱心だったと聞いており、高校創立に尽力したのもうなずけます」。真英はひいおじいさんのことをこう語る。

 伊東は体が大きく、ささいな事にこだわらない豪放な性格。一方で堅実的でもあり、自宅を建てる時に木材選びに十五年もかけたという。真英は「福沢諭吉という素晴らしい師を得たことがよかった」と語る。

 若者を指導する伊東の姿に住民の信頼は厚く、一八八九(明治二十二)年、押し出されるように中川村の村議選に初当選。この時二十五歳。さらにこの年、県議選に当選。二期務め、この間、議長の大役も。

 政治家となり、刻々と移り変わる世の中に、引佐郡に学校を開く“夢”実現のため行動を開始した。地域の有力者らに「これからの産業発展のため学校は絶対に必要だ」と訴えた。地元の協力を得、一九〇二(明治三十五)年、引佐高等小学校の校地、校舎を利用し、金指町と中川、井伊谷、都田、伊平村の一町四村で組合立引佐農業学校がここに創立された。校舎入り口に掛けられた「引佐農業学校」の看板に伊東の心は晴れやかさに包まれた。

 この後、細江の町基盤整備などに手腕を振るった伊東は一九〇九(明治四十二)年、衆議院議員となり二期務めて政界を引退。実業界へ活躍の場を移した。伊東の数々の功績をたたえ地元では伊東家を今も「祝田の伊東様」と言う。

(文中敬称略)

 

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