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引佐高校100周年  いなさの丘に

第1部 歩み(2) 創立者・伊東要蔵氏 諭吉の手紙で決意

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 新しい日本を背負っていく若者たちに教育が必要だ−。引佐高校創立者の伊東要蔵は一八八三(明治十六)年、東京・慶応義塾の恩師・福沢諭吉から届いた手紙を読み、意を強くした。

 福沢から手紙には「教育者として社会のためになる青少年を育てなさい」とつづられていたという。伊東は一八六四(元治元)年、三ケ日町(当時東浜名村)都筑で、畳問屋を営む山田喜平の三男として生まれた。浜松中学を卒業し、一八七九(明治十二)年、福沢の主宰する慶応義塾の門をたたいた。

 伊東にとって福沢のもとで学んだ二年間が、後の人生に大きく影響を与えることになった。優秀な成績で義塾を卒業した後、福沢の勧めもあり、十七歳の若さで大阪商業講習所の教頭を務めたことも。時の文豪、森鴎外も小説「澀江抽斎(しぶえ・ちゅうさい)」の作品中、伊東が慶応義塾に入るため、保(抽斎の長男)らとともに浜松から上京したことを書いている。

 一八八一(明治十四)年、中川村(現・細江町中川)の大地主、伊東家の養子となった伊東は、福沢が説いてきた教育の必要性を実行に移すことにした。それが八三年、村内に開いた「経世社」。若者たちに農業指導をした。

 当時引佐郡内では、い草を使った畳表づくりが主産業。「このままだと発展は望めない」と養蚕業に目をつけ八七年、「養蚕伝習所」を開いた。だが、時代の変遷とともに高等教育の必要性を痛感した伊東の心中には「学校をつくろう」という新たな構想が生まれていた。 (文中敬称略)

(文中敬称略)

 

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