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浜松市立高100周年 心に誠・愛・節

音楽史(上) 母と娘、2代にわたる美声教諭

 ピアノの生産量が世界一の浜松市。古くは「楽器作りのまち」と呼ばれたが、近年はプロ・アマ問わず、さまざまな演奏活動が催され、「音楽のまち」という形容が、すっかり定着している。

 浜松市立高の音楽史を語る時、音楽大学に進学した専門家らで構成する「いちりつ同楽会」の存在が欠かせない。現在会員は百九十七人。演奏家、声楽家、指導者として「音楽のまち」の屋台骨をしっかり支える。

 「いちりつ同楽会」のルーツを探ると、母と娘二代にわたる美声教諭に行き当たる。相曽たみさん(故人)と、同楽会の創設者・敷子さん(88)=浜松市坪井町=だ。

 母たみさんは明治十二年、山梨県甲府市生まれ。幼いころから義太夫や長唄のけいこを受けて育ち、代用教員などを経て明治三十六年に東京音楽学校(東京芸大)師範科に入学した。

 在学中には、たみさんの美声を聞いた教師が「声を生かし、声楽家として身を立てよ」と強く勧めたが「ステージに立つには容姿に自信がないので…」と控えめに断ったエピソードが残る。

 娘の敷子さんは「母が『ステージに立たない私は、“幕の内美人”ね』と冗談交じりに言っていた」と、思い出を語る。教育の道を志したたみさんは卒業後、静岡師範学校(静岡大教育学部)の教諭となり、浜松市の相曽家に嫁ぎ、大正二年、市立に赴任した。

 在職中、たみさんが作曲した「送別の歌」は、高女時代の生徒ならば、だれもが口ずさんだ名曲。作詞を担当したのは、国学者・賀茂真淵の血を引く国漢教諭の岡部哲さん(故人)。二人の教諭は、生徒に大人気だった。

 二人の教諭にまつわる伝説がある。大正九年二月ごろ、「両先生が転勤するらしい」とうわさが広まったのが発端で、高女19回の生徒らが留任を求めて竹山平八郎市長(当時)あてに嘆願書を提出。慰留運動のリーダー、富川光さん(故人)らが「私たちの先生を転勤させないで」と直訴したという。

 ふだん規則を乱すことのなかった生徒たちの主張に、竹山市長も山下四郎校長も、さぞ驚いたことだろう。山下校長は「決まったことだから納得してくれ」と説得。結局岡部さんは岐阜県関高女の教頭、たみさんは富士市の吉原高女へと転勤し、しばらくたった昭和二十二年から娘の敷子さんが音楽教育を継いだ。いちりつ同楽会の設立は、さらに十五年後だ。

 「市長に嘆願書を出すなんて、今では想像できない」と現役一年生で吹奏楽部の梶村茉由さん。たみさんの作曲した「送別の歌」は知らないというが、「ぜひ一度聴いてみたい」と興味を示した。

(文中敬称略)

 

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