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浜松市立高100周年 心に誠・愛・節

校史(9) 終戦直後、1年間だけの男女共学

長い校史の中で唯一、男女共学だった高校4回生の記念写真。左端に詰めえり姿の男子生徒の姿が見られる=昭和24年撮影

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 明治三十四年の開校以来、女子教育の伝統を築いてきた浜松市立高。その歴史の中で、一年間だけ男女共学が行われた事実を知る人は数少ない。昭和二十四年の春、二十八人の男子が高校四回生に当たる三百三十人の女子とともに入学した。

 男子の受け入れは、市立側が望んだわけではなかった。前年の学制改革による「六・三・三制」で新制高校が誕生すると、連合国軍総司令部(GHQ)が男女共学制や、公立校は一学区一校とする小学区制を指示した。

 この方針に浜松市教育委員会が従ったため、市立も受け入れに同意。入学した男子は、浜松市内の中部中、八幡中、南部中学校区が対象だった。

 「貴重といえば貴重な一年間だった。でも二度と体験したくない」。元中学教諭の岡本和孝さん(69)=浜松市田町=は、当時引っ越しのため、併設掛川中(掛川西高の前身)から移ってきた。“硬派”で知られた掛中では「女子を見ただけで逃げ出さないと先輩に怒られた」ほど。

 だが市立高では右を見ても左を見ても女子ばかり。「ギャップが大きすぎた。異国に放り込まれたようで一カ月はひとこともしゃべることができなかった」という。

 男子は一年五クラスのうち、一組と二組に分けられた。少数派の男子が一番困ったのがトイレと着替え。トイレ問題は増設されて即座に解消したが、「着替え時は教室から閉め出された」。

 一方、体育祭では男子が力を誇示した。ハンディなしのクラス対抗で競ったため、女子だけのクラスは大苦戦。佐々木はまゑさん=高4回卒、浜松市和地山=は「この日ばかりは男子が輝いて見えた」と思い出す。

 こうした共学への動きは翌年の学区変更に伴い、あっけなく終了。男子は三学期の面接で浜松北高に十人、浜松西高に十四人、残る四人が東京の高校などに転校した。当時、数学教諭だった第九代の西野淑校長は「多くの女子に囲まれた男子は、かわいそうだった。共学が終わり、ホッとした」と回想した。

 少子化などの影響で近年、女子校が共学校に姿を変えつつある。公立校で女子生徒だけという市立は、全国的にも数少ない存在だ。岡本さんは「過去にうまくいかなかったから、市立の共学化は難しいと思う」と語る。

 現役一年生の鈴木志実さんは「時代の流れと言えども、急に共学に変わったら少し抵抗を感じる」といい、市立高と浜松北高が一本の細道を挟んで寄り添うように建っている点に触れ「校舎同士が仲の良い夫婦みたい。両校が共学校だと変な気がする」と話した。

(文中敬称略)

 

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