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浜松市立高100周年 心に誠・愛・節

校史(7) 戦地の兵士へ「千人書き」

 「私の名前はここにある」「あなたのはこれでしょ」「この方、亡くなったわねえ」−。浜松市元浜町の船越敏子さん(76)=高女38回卒=方に集まった同窓生四人が、戦争中に兵士に送られた「千人書き」に見入り、懐かしそうに知っている名前に指をさす。日の丸に船越さんら千人の女性の名前が端正な字で記された「千人書き」は、不思議な因縁で船越さん方に残っていた。

 昭和十六年、後に敏子さんの夫となる船越博さん=今年五月に死去=が中国へ出征した。博さん宅に下宿していた同校の高橋きん子教諭は戦地に赴く博さんのために日の丸を同校に持ち寄った。日の丸には敏子さんら当時の生徒が自分の名前を書き入れ、大陸の博さんの元へ。その後、帰国した博さんは敏子さんと結婚。敏子さんは、博さんが持ち帰った日の丸と再会したのだ。「当時はだれのための千人書きか知らずに、名前を書いていた。夫から見せられて驚きました」と敏子さんは懐かしそうに話す。

 敏子さんらは日中戦争が始まった昭和十二年に入学し、太平洋戦争が始まった昭和十六年に卒業した。まだ本格的な戦時下にはなかったが、同校にも少しずつ戦争の影が忍び寄っていた。「学校で防空訓練をしたこともあった。体を鍛えるための“剛健遠足”では、舞阪の弁天島まで歩いて往復したことも」と松下京子さん(76)=同市東伊場一丁目、同=も振り返る。「遠足といえば楽しいイメージがあるけど、当時は大変だったでしょうね」と現役二年生の平野栄里さん。

 当時は黒田伝次郎校長の厳しい教育のもとで、まじめな生徒が多かった。「髪の毛は三つ編みと決められ、上着やスカートの長さまで制限された」と加茂芳子さん(76)=同市伝馬町、同。宮下セツさん(76)=同市西浅田二丁目、同=も「男の子に声を掛けるなど、絶対できなかった」と笑う。しかし、多感な思春期時代に異性にあこがれるのは、戦時下でも今の高校生と変わらなかった。

 この時代、浜松市内の民家には、現在の航空自衛隊浜松基地がある場所で訓練を受けていた航空隊に所属する兵士が多く下宿していた。当時の少女は、国のために戦ってくれる「兵隊さん」に特別な思いを抱くことが多かったという。青木文子さん=浜松市和合町、高女37回卒=も「友達の中には、下宿していた兵隊さんと結婚した人もいます」と懐かしそうに話す。戦地の兵士に送った慰問袋がきっかけで、手紙や写真のやり取りが始まったケースも。現役二年の安田祐子さんは「夢があって、ロマンチックな感じでいいですね」と当時の若者の恋愛に思いをはせていた。

(文中敬称略)

 

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