トップ > 静岡 > 高校・大学周年特集 > 浜松市立高100周年 心に誠・愛・節 > 記事

ここから本文

浜松市立高100周年 心に誠・愛・節

校史(5) 乙女心包んだ4代の制服

100年の制服の歩み。(写真右から)初代の着物とはかま、1本線が入った大正時代、不評だった鬼サージの洋服、現行のセーラー服=浜松市立高校で

写真

 生徒たちもめったに足を踏み入れない浜松市立高校の講堂二階控え室−。その一角に、古いガラスケースが並び、歴代の制服を着た四体の人形が丁重に飾られている。

 家庭科教諭として三十五年間母校の教壇に立ち、現在も講師として授業を受け持つ沢木恭子さん=高3回卒、雄踏町宇布見=が、各時代の特徴を解説しながら高さ約五十センチの人形を外に出してくれた。

 一体目は、開校時の明治時代。制服が決まっておらず、着物にはかま姿だ。「エビ茶のはかまは一週間に一度ずつ学生たちが自分で染め直し、寝押ししたそうです」と人形をテーブルに置く。

 大正時代になると、はかまに白い一本のラインが入る。「この白線が当時の女子のあこがれだったようです」と二体目を並べた。人形を眺めると、履き物はゲタから靴に変わっている。

 三体目に関しては言葉少なめ。「評判がよくなかったそうです」とポツリ。大正十三年から登場し、昭和八年まで続いたこの制服は、粗製の毛織物である鬼サージ生地の洋服で、当時はバスの車掌が着ていた制服に似ていたことから“バスガイド制服”と呼ばれた。

 堀江昌子さん(90)=高女26回卒、浜松市初生町=は、一年生の一学期ではかまが廃止となった世代。「個人的には新しい制服も動きやすくて好きだったが、友人たちからは『やぼったい』と不評でした」という。

 バスガイド制服は生地が粗く、洗濯でスカートの折り目が消えるのも嫌われた。時の黒田伝次郎校長は「制服が気にくわない生徒は転校しなさい」と一喝(かつ)したが、ちょっとした“事件”で制服変更を決意する。

 昭和六年秋、バレーボール部が県大会を初めて制し、明治神宮大会に出場した時のこと。チーム全体で歩いていると通行人が「バスガイドの遠足とは珍しい」と大声でからかった。生徒らは顧問の淵上正教諭に「こんな制服はイヤだ」と泣きついた。後にバレー部を全国優勝に導くなど名コーチとして知られる淵上教諭から「生徒の気持ちを理解してほしい」と報告を受けた黒田校長は、新しい制服の検討を始めた。

 そして完成したのが現行のセーラー服。三本のラインは校訓「誠・愛・節」を表し、短めのネクタイは「イカネクタイ」と呼ばれてきた。現役二年の村上登樹子さんは「はかまは大学の卒業式でもない限り、着る機会がないので、ちょっぴりあこがれる」としながらも「将来、このイカネクタイを懐かしく思うんでしょうね」。

(文中敬称略)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索