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浜松市立高100周年 心に誠・愛・節

校史(3) 厳しい寮生活が培う友情

曳馬野寮の寄宿生たち=明治36年5月、長谷川鉄雄氏邸(現在の浜松市松城町)で

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 八年前に百三歳で亡くなった中山玉恵さん=高女5回卒=の閑静な邸宅(浜松市三島町)。ご遺族にお願いして、古いアルバムを拝見した。

 厚い台紙の写真帳をめくると、母となり、幼い子を抱く同級生らの写真が次々に目に飛び込んできた。多くが、玉恵さんが寄宿舎生活を送っていた時代の友人。大切に保管されていたモノクロ写真から、生涯にわたる友情がひしひしと伝わってきた。

 浜松高等女学校には、浜松町(現在の浜松市)はじめ遠州一円、愛知県からも良家の女子が続々と入学。開校時から仮寄宿舎があったと記録されるが、正式には開校二年後の明治三十六年四月、後に誠心高女(現在の浜松開誠館)を創立した長谷川鉄雄氏が住む松城馬冷の屋敷の一部を借り、寄宿舎「曳馬野(ひくまの)寮」(木造一部二階建て)をつくった。大正十二年三月に寄宿舎制度がなくなるまで、二十年間存続し、二百人以上の寮生が巣立った。

 寮は、生徒の居室が九部屋で、八畳部屋に六人暮らし。親元での乳母日傘(おんばひがさ)とは、ほど遠い生活。十三歳から十六、七歳までの少女だけに、慣れないうちは多くの生徒が泣いたという。警察医として活躍した本多ちよさん=高女12回卒、故人=も「ホームシックで、月に一度は家族が病気だと口実をつけ、実家から迎えの人力車を回してもらって母のもとに帰った」という。

 寮では朝六時起床。布団を畳み、洗面、髪をまとめ、午前七時に各部屋で朝食(米七分・麦三分のご飯、みそ汁、おしんこ)。はかまをはき、瀬戸物製の弁当箱を持って登校した。

 天竜川の治水事業に尽力した、金原明善翁の孫娘だった玉恵さんが「学校から帰ると、毎日くじ引きで同部屋全員分の焼きいもを買いに行った」と語ったのを、杉浦幸子さん=高女37回卒、元同窓会長=が聞いている。

 帰寮後は、午後六時に夕食。九時の消灯までが自習時間で実家から送られた菓子を隠れて食べる生徒も。仕送り金があっても舎監に預け、必要な時に申し出て質素な生活を貫いた。男女交際は厳禁。親からの手紙さえ、舎監の検閲なしでは受け取れなかったという。

 創立百年目の今春、浜松市立高校の敷地内に学習施設と合宿施設の機能を持つ「誠玲館(せいれいかん)」が完成した。文化祭の前、演劇練習のため仲間と泊まり込んだ三年生の原さと子さんは言う。「みんなで語り合い、きずなが深まった。曳馬野寮で暮らした先輩方も深い友情で結ばれていたことでしょう」。

(文中敬称略)

 

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