トップ > 静岡 > 高校・大学周年特集 > 浜松市立高100周年 心に誠・愛・節 > 記事

ここから本文

浜松市立高100周年 心に誠・愛・節

プロローグ 卒業生貫く普遍の3文字

写真

 ことしも、三本ラインのセーラー服に身を包んだ、飯田光加さんら新一年生が門をくぐる。目に映る清楚(せいそ)な花「ナニワイバラ」は“いちりつ”のシンボルだ。

 浜松市立高校の栄えある歴史は、遠州地方初の女学校「浜松高等女学校」として明治三十四年に始まる。卒業生最長老格の加茂つねさん(91)=高女25回卒、菊川町堀之内=は自身の登校時を思い起こす。「当時、制服といえば自分が持っているはかまのすそに、白い一センチ幅のテープを縫いつけるだけだった。自分で縫ったけど夢のようにうれしかったね」

 現校舎に咲くナニワイバラを当時の加茂さんは知らない。昭和二十年の浜松大空襲で同市松城作左山の校舎が全焼、現在の広沢に仮校舎を構えてからのものだからだ。旧浜松高等工業学校跡地に立つ広沢校舎。同工業学校の初代関口壮吉校長が手ずから育てたナニワイバラは、過酷な戦争、戦後の窮乏とは無縁に毎春、純白の花を咲かせ続けていた。

 百年の歴史の中で、学校所在地は、浜松町(現・浜松市)元城、松城馬冷、松城作左山、広沢と移り変わった。ナニワイバラが見た校史は、戦後からの約半分。でも、三万人を超える卒業生、在校生に一貫して、そして脈々と受け継がれているものがある。校訓「誠・愛・節」の精神だ。

 竹田君枝さん=高19回卒、同窓会長=は「その方の立ち居振る舞いだけで、『市立』の卒業生だと察せられる」と言い、卒業を来年に控えた三年土谷侑子さんは「心の豊かさを学んでいる」と実感する日々を送っている。

 明治から平成への百年。社会は大きく変わった。しかし、校訓の三文字に込められた思いこそが、変わらぬ市立の精神。

 明治三十七年に校訓を定めたのは、第二代の田辺友三郎校長だ。田辺校長は校訓前文で「唯(ただ)三個の字面(じづら)之を尽くす」と『市立』の教育方針を高らかにうたう。

 そして、こう続ける。「(校訓は)世を換え、時を異にすとも変わることなく、身を終うるまで服ようして尽くることなし」と。

(文中敬称略)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索