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浜商野球 栄光の80年史

県大会決勝で静商に大敗 昭和27年

昭和27年当時の部員

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 1952(昭和27)年の夏の県大会は熱気に包まれていた。ファンを沸かせたのは静岡商。この年春の選抜甲子園で全国優勝を果たし、県民を熱狂させた。

 初戦から大差で勝ち上がる静岡商。反対のブロックでは、前年の夏の県大会で静岡商を破った浜松商が接戦を勝ち進み、決勝に進出。静岡商と優勝をかけて対戦した。

 この試合、浜松商は二回に3点を先行されたが、すかさず同点。しかし、五、六回に静岡商打線が爆発し、3−18の大敗。マウンドを守った吉原勉(昭28卒)=浜松市新都田=、遊撃手だった徳田弘(同)=同市北島町=は天をあおいだ。玉木志和(同)=同市住吉=は「勢い込んだ決勝での大敗。生涯忘れられない試合」。悔しさは今も消えない。

 この試合をベンチで見守ったのが、マネジャーの望月隆(同)=同市山手町。望月は1年は三塁手だったが、2年の春、右足の血行障害による骨の炎症で運動を禁止された。「野球ができないのに野球部にいて何になる」。やけになって退部を考えたとき叔父・大二のメモに出合う。

 メモは海軍軍人で、若くして亡くなった大二が昭和初期、仕事で訪れた米国でメジャー野球を観戦した時の感動をつづっていた。

 「吾人(自分)はベースボールに向かって何を要求せんとするか」で始まるメモは「試すところのある者は野球に来たれ」と締めくくられ、野球の素晴らしさを伝えていた。

 「メモを読み、野球から逃げてはいけないと思った」。望月はマネジャーに転向。部員を支えるだけでなく、練習方法なども勉強した。マネジャーで培った豊富な知識は卒業後、病気が癒えると、社会人野球での再起につながった。

 ▽昭和28年度卒業生=玉木志和、徳田弘、藤森茂雄、望月隆、橋本賀津義、渥美信義、吉原勉

文中敬称略

 

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