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浜商野球 栄光の80年史

連続甲子園 惜しくも逃す 昭和26年(下)

昭和26年当時の部員たち

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 甲子園出場という夢を実現した浜商野球部。1951(昭和26)年には野球部グラウンドの整備が始まり、部員たちは静岡大学グラウンドなどを借りて練習。甲子園の土を踏んだ根木健次(昭27卒)=浜松市元目町=、大野木満夫(同)=同市八幡町=らが「2年連続甲子園出場」を合言葉に、就任したばかりの監督、根木康治(昭18卒)の猛練習に耐えていた。

 迎えた夏の県大会。浜松商は初戦で田方農と対戦。岡崎純也(同)=佐久間町川合=が根木の監督就任を祝うような満塁ホームランを放つなど、13−0と圧勝する。

 準々決勝では当時、全国屈指といわれ、翌52(同27)年の春の選抜甲子園で全国制覇を果たすことになる強豪、静岡商に4−1で勝つ。「試合後、静岡商ナインが泣いてベンチから出てこなかったのが印象に残っている」と大野木が振り返る会心の勝利だった。

 2年連続甲子園が見え始めたと誰もが考えたが、準決勝では戦前からのライバル浜松北に0−7の大敗。甲子園の夢はあっけなくついえた。岡崎は「完敗でした。でも前年優勝のプレッシャーの中、先輩に負けない試合をしようという気持ちだった。部員たちのそんな気持ちの積み重ねが伝統をつくっていくと信じている」。

 2年連続甲子園出場を逃し、悔しい思いをした部員たち。しかし、3年生たちは浜商野球部の礎を築いた岡崎敏雄、松本平四郎、根木康治の3人の監督から指導を受けた。土屋新太郎(同)=浜松市三島町=は「3人の監督に野球だけでなくさまざまなことを教えられた。幸運な巡り合わせでした」。監督の教えを守り、先輩を越えようとする気持ちは後輩に引き継がれていく。

 ▽昭和27年度卒業生=石川和男、岡崎純也、大野木満夫、根木健次、稲垣豪三、田米康二、今村俊夫、土屋新太郎、望月季次

文中敬称略

 

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