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浜商野球 栄光の80年史

空腹でも、物がなくとも 昭和20年―24年

昭和24年当時の浜商の野球部員たち

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 終戦後、野球部員を出迎えたのはイモ畑に姿を変えたグラウンドだった。

 1945(昭和20)年6月に校舎は全焼し、野球用具も丸焼け。河合慎二(昭22卒)=浜松市早出町=は「野球をやりたい一心で浜商に入ったら戦争のため1年で休部。戦後になっても食糧事情などは悪く、いつも腹をすかせていた。環境は悪かったが、野球ができる時代になっただけで満足。グラウンド整備だって楽しかった」。戦争という重苦しい時代を耐え、再び野球ができる生活に部員たちの気持ちは躍っていた。

 物資不足の時代で、用具は修理が当たり前。武田良行(昭23卒)=新居町中之郷=は「戦後のボールはすぐに柔らかくなるので戦前のボールを修理しては使った。毎晩、家でボール縫いをしたが、練習疲れですぐ眠ってしまう。朝起きて慌てると、母が縫い上げてかばんに入れてくれてあった」。物が豊かでない分、人の優しさは身にしみた。

 部員たちを支えたのは家族だけではない。監督の岡崎敏雄も一家あげて部員の面倒を見た。

 校舎が焼けて部室がなくなった部員たちの着替え場所は、岡崎監督の自宅。毎日風呂に入れる時代でもなく、男子高校生が着替えをするのが家族の迷惑にならない訳がない。でも「監督の奥さんはいつも笑顔で迎え元気づけてくれた。それを支えに厳しい練習に耐えられた」と武田。そのかいあって、47(昭和22)年の第29回全国中等学校野球静岡大会で浜商は一回戦で勝利。「岡崎監督の喜ぶ顔は今も忘れられない」(武田)。部員らがはぐくんだ熱い思いは3年後、浜商野球部に大きな花を開かせる。

 ▽昭和22年度卒業生=河合慎二、神崎幾夫、川崎武夫、伊藤光治、岡崎圭造、鈴木健、竹下茂

 ▽23年同=武田良行、大木清蒔、小林進介、芥田広治、森重尚久、富田智、平野雪博、石田一男

 ▽24年同=藤森巌

 ▽25年同=内山勝、太田嘉樹、五味吉彦、袴田新

文中敬称略

 

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