トップ > 静岡 > 高校・大学周年特集 > 浜商野球 栄光の80年史 > 記事

ここから本文

浜商野球 栄光の80年史

戦時下で部は解散 昭和17年−19年

昭和17年当時のユニホーム

写真

 関係者の尽力もあって力をつけ、甲子園出場に向けて意気上がる浜松商。しかし、社会に広がる戦争の重苦しい空気は部員たちの周囲にも忍び寄っていた。

 昭和10年代後半に入ると部員たちは勉強、野球よりも勤労動員が中心の生活に入る。3カ月繰り上げで1942(昭和17)年12月の卒業となった山川定一=浜北市平口=は「学期末の休みは勤労奉仕。浜松球場だけでなく、列車に揺られて静岡まで出掛け、静岡球場の土木工事にも参加したのが思い出です」。41年には9年前に出ていた野球統制令が厳しくなり、野球は全面禁止を余儀なくされた。

 野球用具にも戦時色は反映した。当時、人気だったタイ・カップ、ルー・ゲーリッグといった大リーグの強打者の名前が入ったモデルバットは姿を消し、登場したのが「一億一心」と書かれた塗装のない白木のバット。豚革製のボールは10球も打てば革が緩んで反発力が落ちた。それでも鈴木昭二(昭20卒)=浜松市入野町=、宮崎辰夫(同)=浜北市横須賀=らはすきっ腹を抱え、水を飲むことも許されない練習に打ち込んでいた。

 そして迎えた43年。戦時色はいっそう濃くなり、夏の県大会開催も危ぶまれる中、浜松商野球部はついに解散に追い込まれる。「野球部解散を決めたのは、県内で野球部がある16校の中の一番最初だと思う。解散のうわさはあったが、決まった時はとても悲しかった」と山本明(昭18卒)=浜松市天王町。富士の兵舎での教練の帰り、箱根のホテルで一泊した楽しい思い出を最後に、山本たちの生活は戦争にのみ込まれていく。

 ▽昭和17年度卒業生=山川定一、木俣静夫、松本平四郎、小原忍、河合義弘、永田庄介

 ▽18年同=根木康治、山本明、古山三夫

 ▽20年同=鈴木昭二、河合健二、木俣辰夫、杉本茂利司、田辺豊、岡崎稔、小田雄一郎、山口重五郎、石津澄夫、宮崎辰夫

文中敬称略

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索