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浜商野球 栄光の80年史

剣道部師範が助け舟 昭和3年―9年

昭和3年当時の部員たち

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 昭和に入っても部員不足は相変わらずだった。他部からの応援選手を集めては浜松一中(現浜松北高)などと練習試合も行ったが、部員不足に加え監督もコーチも不在。「好きこそものの…」だけのにわか仕立てのチームが、県内屈指の強豪で知られた浜松一中などの相手になるわけがない。

 記念誌「闘魂」に寄せた伊藤定一(昭3卒、故人)の手記によると、昭和2年の夏の県大会前には慶応大野球部の選手をコーチに合宿を行ったというが、その年の県大会もパッとせず、「意気込んで出かけた静岡からすごすごと帰ってきた」。2年後の昭和4年、夏の県大会では当時「全国レベル」といわれた静岡中と対戦し、0−24という記録的な大敗も喫した。

 それでも部員らは白球を追うことをやめなかった。昭和5年の夏の県大会はこの年に完成したばかりの静岡球場が舞台。優勝候補の浜松一中と対戦し、敗れはしたものの0−3と健闘。キャプテンで捕手だった白井信雄(昭6卒)は「静岡中に24点取られて負けたチームが、優勝候補の浜松一中に3点差の惜敗。負けたとはいえ、自分たちの成長が実感できたようで誇らしかったよ」。

 しかし、昭和9年には部員が1チームに満たない状態に逆戻り。柴田徳一(昭11卒)の「闘魂」の手記では、部員不足の野球部に助け舟を出したのが剣道部師範の鈴見捨吉。「野球部で役立ちそうな剣道部員がいたら連れていけ」。チームをつくれないまま毎日練習する選手を見かねた鈴見の温情で、選手はたちまち15人に。「鈴見先生のありがたさをつくづくかみしめました」。「闘魂」に寄せた柴田の言葉には熱いものがにじむ。

 ▽昭和3年度卒業生=坂本鶴次、町田幸平、伊藤定一、吉田吾郎、井島恵一郎、円山四郎、小島照国、本多信好

 ▽4年同=森島吉松、岩田芳男、高橋長節、鈴木義雄

 ▽5年同=山下喜一郎、河合重男、杉浦大次郎、鈴木正吉、内山武一

 ▽6年同=白井信雄、池谷寛、川村励、高柳忠太郎

 ▽7年同=小谷源太郎、藤井正吉、桜井東二、市川栄一

 ▽8年同=本間登、仲山巌、大場宗市、丸林仙太郎、富部祐助、内山直治

 ▽9年同=伊賀正治、太田金之介、安間章次、中山良平、森島貞次

文中敬称略

 

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