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浜商野球 栄光の80年史

発足当初は部員7人 大正15年―昭和2年

野球部の基礎づくりに貢献した浅野敏樹氏

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 1924(大正13)年、浜商野球部は浜松市三組町のグラウンドで産声を上げた。

 創部までは苦労が多かった。「野球部をつくろう」と言い出した浅野敏樹(大15卒、故人)が校長に直談判。しかし当時の校長は大の野球嫌いとあって交渉は難航。最後は職員会議の投票にまで持ち込まれ、初代部長を務めた西沢勘助らの尽力で創部にこぎつけた。

 野球部といっても、最初から選手9人が集まっていたわけではない。発足当初の部員は7人。「試合をやろうにも選手がそろわず、野球のできる他の生徒に助っ人を頼んで試合に出るという繰り返しだった」。創部当時を知る坂本鶴次(昭3卒、故人)は第50回選抜高校野球大会優勝記念誌「闘魂」(昭和53年刊)でこう振り返る。

 さらに、練習場所はグラウンドとは名ばかりの秋葉神社の森を切り開いた空き地。狭くて石が多く、外野の先はがけだった。

 守備練習をすればイレギュラーバウンドの連続で、ボールが部員の顔や胸を直撃。走塁練習では石につまずいて転び、打撃練習をすればまともな当たりがどれも場外ホームランになった。

 グラウンドの周囲は民家だったが、当時のグラウンドを知る白井信雄(昭6卒)は「私のころにもボールが民家の軒先に飛び込むことは多かったが、不思議としかられたり文句を言われた記憶がない。理解があったのか、優しかったのか。いい時代だった」と懐かしむ。

 全校生徒によるグラウンドの石拾いなど、周囲の支援を受けて練習に取り組む部員たち。創部4年目の27年には公式戦で勝ち星を挙げるなどして支援にこたえた。

 ▽大正15年度卒業生=浅野敏樹、河合吉一、永田三郎、日向逸平

 ▽昭和2年度卒業生=村井日出夫、岩田明

文中敬称略

 

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