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浜松西高80周年 西山台に時移り

卒業生編 スポーツ界 伯楽輩出、技と心指導

“人間の力”の教育に情熱を傾けてきた太田誠監督=東京都の駒沢大野球部合宿所で

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 文武両道の精神を西山台ではぐくんだ生徒の中からは、卒業後もスポーツ界で活躍する指導者や選手が生まれた。

 駒沢大野球部監督の太田誠(昭30卒)=東京都=は、指揮官となり三十四年。チームを東都リーグ優勝二十二回、大学日本一に九回導いた大学球界の名将だ。シドニー五輪では強化本部長を務めた。

 浜松市福塚町の農家の長男に生まれた。家計は楽ではなかったが、中学野球部の先輩、松下忠男(昭29卒)=茨城県=と浜松西高野球部部長で教諭だった寺田昇(故人)の尽力で、父親から高校で野球を続ける許可を取り付けた。

 駒沢大、社会人野球で活躍後、引退。成績が低迷していた駒沢大から監督就任を要請されたのが一九七〇(昭和四十五)年秋。直後の試合で成果を出し、翌年正式な監督に就いた。

 中畑清や石毛宏典、白井一幸、昨年夏の甲子園覇者駒大苫小牧高の香田誉士史監督ら、プロ、アマ球界に送り出した教え子は数多い。今年正月の西高同窓会で講演した中畑清と、同窓会幹事との橋渡しをした。中畑は多忙な中で時間をつくり「監督に頼まれたことで金は受け取れない」と無償で来浜した。

 「高校時代は思い出深いね。東坂の桜並木が目に浮かぶよ」。古橋広之進の後輩であることが誇りで、励みでもあった。三年間担任だった河合九平(昭21卒)=浜松市坪井町=を恩師と仰ぎ「真剣で一生懸命で、責任感のある先生」と振り返る。

 「人との交歓が大切」と説く。世田谷の合宿所では近隣住民との交流に力を入れ、地元の祭りでみこしを担いだり、付近の川の掃除に参加したりする。豪放らいらくな性格の中に、細やかな気配りが垣間見える。

 「逃げたらいかん。怠惰はいかん。艱難(かんなん)辛苦の中に喜びがある」。自らの心構えでもある。スポーツを通して、野球の技術以上のものを教えてきた。

 太田と交流がある杉浦健五(昭29卒)=浜松市御給町=も、空手を通して教え子たちの人間形成を目指す。全日本空手道連盟の四大流派の一つで、全国で約百万人の門下生を擁する和道会の常任相談役。ロシア、中国など、外国の支部にもたびたび指導に出かける。

 大学で空手を始めた。杉浦錬成塾を開き、浜松市武道館、浜松医大などでも指導する。長男大祐は西高空手同好会で教えていた。高校の後輩で門下生の加子倫子(昭60卒)=浜松市旅篭町=は指導員となるまでに腕を上げ、杉浦の教えを受け継ぐ。

 杉浦は「空手を通した人との出会いのおかげで、今がある。恩返しのため、空手を普及発展させるのが自分の役目」と情熱を語る。特に子どもたちには精神面、礼儀作法重視の指導を心がけている。

 サッカー界では、Jリーグのガンバ大阪で渡辺光輝(平5卒)=大阪府=が活躍。岡本淳一(平9卒)=東京都=はFC東京などでプレーした後、同チームのU−15むさしコーチとして後進の指導に当たっている。

(文中敬称略)

将来の夢

 僕が目指す職業は、教員です。僕は今まで多くの先生を見てきました。どの先生も個性的で、自分にとって肥やしになることを多く学びました。勉強を教わるだけでなく、さまざまなことを学校で得ることができたのも、先生方の力が大きかったからだと思います。教員になることで、子どもに勉強以外のさまざまなことを教えたいです。1年 小川 慧 君

 

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