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浜松西高80周年 西山台に時移り

卒業生編 教育界 薫陶受け継ぐ深い縁

庄田 武さん

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 静岡県の教育界を支えてきた、と言っても過言ではない。それほど、教職の道に進んだ卒業生は多い。中でも元県教育長の庄田武(昭26卒)=浜松市鴨江=と杉田豊(昭32卒)=浜北市貴布祢、元浜松市教育長の河合九平(昭21卒)=浜松市坪井町=の三人は、互いに深い縁で結ばれつつ、卒業後も西高とのつながりを持ち続けてきた。

 庄田は母校の後援会長で、創立八十周年記念事業実行委員長も務めた。袋井商業高教諭、浜北西高校長などを経て、一九九〇(平成二)年から県教育長、九三年から副知事。二〇〇〇年には、構想段階からかかわっていた静岡文化芸術大の副理事長に就任した。

 昨年四月からアクトシティ浜松運営財団の理事長。新年度には財団と浜松市文化協会の統合、十二市町村合併を控える。「市町村固有の文化活動や有形無形の文化遺産の独自性を失わないようにし、しかも一つの市として有機的に結びつかなくてはならない」と気を引き締める。

杉田 豊さん

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 杉田は、静岡高校長から庄田の二代後の県教育長に就任。現在の静岡文化芸術大副理事長の職も、庄田からバトンタッチされた。二人は浜松市立高で同僚教諭として勤務し、県教委高校教育課では、課長の庄田を杉田が課長補佐として支えた。「不思議な縁。庄田さんからは随分薫陶を受けた。『校長になったらもっと勉強しろ』などとね」

 教育長時代、杉田は強い信念に基づき西高などへの中高一貫教育導入を推進した。「六年間ゆとりを持って過ごし、高校受験に充てる時間は人生について考えてほしい」と。初めての中等部選抜試験問題は、部下に何度も作り直しを命じ、ぎりぎりまで練った。子どもたちが生きてきた十二年間の経験や知識を総動員し、自分の頭で考える問題にと。

河合九平さん

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 杉田が袋井高教諭の時に同校校長だったのが河合。河合は浜松二中の生徒として、新米教諭として、最後は校長として、三度西山台に通った。県教委勤務や磐田北高校長などを経て八五年、母校の校長に。産業都市浜松に貢献する理系の人材育成の必要性を説いた。当時県高校教育課長だった庄田の支援もあり、八六年に理数科を創設。理数科は本年度で閉科するが、発展的解消と受け止め、寂しさはない。

 教育論を熱く語り「五感五体、体で学ぶのが“学び”の原点。人間形成の舞台として、文武両道、骨太の生徒を育ててほしい」と母校に期待する。八八年からは三期十二年浜松市教育長を務めた。新年度から浜名湾游泳協会長の任に就く。

 県西部には、河合から市教育長を引き継いだ土屋勲(昭35卒)=浜松市三島町=や、浜北市教育長の村松右(昭39卒)=浜北市小林=など、現職教育長も多い。

 学校長も、本年度新たに八人が仲間入りした。気賀高の中村俊洋(昭40卒)=雄踏町宇布見=、浜松市立高の山口嘉一(同)=浜松市三方原町=、浜松市都田中の野寄雅司(昭44卒)=同市半田山=らは、新任校長として学校経営に手腕を振るっている。

(文中敬称略)

将来の夢

 幼いころから就きたい職業がある。それはエンジニアだ。エンジニアと一言で言っても、さまざまな種類がある。僕はその中でも人工知能、つまりAIに関する仕事をしたいと思っている。だが、今の僕ではまだ多くのことが足りない。これがただの「夢」で終わることがないよう、日々努力したいと思う。1年 安達 昌吾君

 

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