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浜松西高80周年 西山台に時移り

部活動編 生物部 卓球部 体操部 戦後一時代を築き幕

生物部

生物部の3年生部員。前列左端が田中亮三教諭=1959年夏

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 一九四七(昭和二十二)年、生物研究者の田中亮三(故人)が赴任して顧問となり、創部。すでに名が知られていた田中の下には、熱意のある生徒が集まり、数々の栄誉を手にした。五八年から連続九年、県学生科学賞を受賞、五九年からは八年連続で鈴木梅太郎賞を獲得するなど、黄金期を築いた。

 五八年には、水窪町の山中で田中や藤下章男(昭35卒)=浜松市上島=らがハネナガウンカの新種を発見した。「体が三ミリ、羽も含めると全体で十二ミリぐらいで、羽の縁が淡紅色できれいだった」。藤下は今も鮮明に覚えている。四年後、ハマニシハネナガウンカとして学会で正式発表された。

 田中が六七年に転任すると、活発だった活動も次第に勢いが衰えた。部員の研究論文集「生物交流」は四九年からの二十四年間で二十三号を数える。十年前、生物部OB会が復刻版を出した。

 今、生物部は、科学部の一部として存続している。

卓球部

高校総体の県予選団体で優勝した卓球部員。後列右端は顧問の山香弘夫教諭(故人)=1955年

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 五〇年代の県内高校卓球界は全国トップレベルの実力を誇っていた。西高卓球部が県内二校の高校総体出場枠をめぐり、強豪浜松商業高や興誠高と競っていた時代だ。

 当時の世界チャンピオン荻村伊智朗(故人)らが西高体育館で合宿したことなどから、刺激を受けた部員は、めきめきと上達。六〇年代にかけて、ほぼ毎年個人や団体で総体に出場した。国体にも多くの選手を送り込んだ。五六年に落合正夫(昭32卒)がベスト8に入り、翌年竹本義文(昭33卒)=浜松市新都田=も続いた。竹本は現在、日本卓球協会理事、県卓球協会理事長を務めている。

 三年前の中高一貫教育開始とともに、高校の部活は活動を休止。

総体に出場した最後の体操部員=1973年

中等部の部員が高校に繰り上がるため、新年度に復活する。

体操部

総体に出場した最後の体操部員=1973年

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 五九年から九年連続、七三年までに計十二回総体に出場の快挙を成し遂げた。さらに六一年には団体で五位、二年後には同じく団体で六位に食い込んだ。

 だが、“体操ニッポン”が低迷期に入るのと時を同じくして、西高体操部も八三年、歴史に幕を下ろした。

(文中敬称略)

 

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