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浜松西高80周年 西山台に時移り

部活動編 ボート部 語り継がれる黄金時代

ボートを接岸する部員。乗っているのは森平号=浜松市の佐鳴湖で

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 佐鳴湖まで、学校から自転車で約十五分。立地に恵まれた浜松西高にボート部が生まれたのは、一九七三(昭和四十八)年。春は桜のピンク、初夏にはツツジの鮮やかな赤、ほおをなでる風が冷たくなるころには、紅葉の赤や黄色が湖岸を縁取る。四季折々の自然を楽しみながら、歴代部員はここで高校時代の貴重な思い出をつくってきた。

 創部から三十年の間には、幾度かのピークがあった。一回目は八七、八八年の高校総体連続出場。浜松北高のボート部初代監督だった田中高志が監督に就いた翌年、かじ付きフォアで鈴木政晴(昭63卒)=浜松市寺島町=らが念願の総体初出場を果たし、4位に入賞。八八年も同種目に出場した。

 次のピークは、田中から監督を引き継いだ影山久茂(昭48卒)=細江町三和=の時代。田中から漕艇のイロハを学び、本や講習会で知識を補足した熱心な影山の指導の下、太田森平(平7卒、故人)や岩田俊輔(平8卒)=浜松市入野町=らが育った。

 ボート部黄金期を築いた太田は九四年、全国高校選抜競漕大会シングルスカルで優勝。同年、日本代表としてドイツでの世界ジュニア選手権に出場し、日本勢として歴代2位の17位という好成績を挙げた。岩田は九五年、国体少年男子ダブルスカルで天竜林業高の選手とコンビを組み、圧倒的強さで優勝した。

 太田、岩田はともに早大ボート部へ。太田は主将として活躍したが、同大院生だった四年前に交通事故で亡くなった。二人は高校時代、同じシングルスカルの選手。「よく『練習に行くぞ』と声をかけてくれた。兄貴みたいだった」と岩田は今も死を悼む。「ボートに関して妥協しない。自分に厳しく、高いレベルを求める人だった」

 その後、太田の遺族はボート部にダブルスカル艇を寄贈。艇は「森平号」と名付けられ、太田の物語とともに後輩に受け継がれている。二年生で部長の宮本大貴は「先輩から、太田さんはすごい人だと聞いた。ボートは遺族が寄付してくれたものだから、絶対大切にしろとも言われた」という。

 年数回の大会と一回の合宿、夏には恒例の浜名湖遠漕。遠漕では、二つの湖をつなぐ新川を通り、浜名湖へこぎ出す。波と風がある浜名湖を手こぎで進むのは、なかなか大変だ。それでも、一年生の伊藤暁人は「楽しみにしていた行事。疲れたけど、景色がよかった」と満足そう。

 太田と岩田以降は、九六年に宮分慎一郎(平9卒)=細江町気賀=、野島克洋(同)=浜松市佐鳴台=らのクルーがかじ付きフォアで三度目の総体出場。〇三年には、望月賢人(平16卒)がシングルスカルで初めて総体に駒を進めた。

 鈴木や岩田、野島らは、ボート部OBが多くメンバーとなっている浜松ボートクラブ佐鳴会に所属。折々に後輩の指導にも当たっている。

(文中敬称略)

 

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