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浜松西高80周年 西山台に時移り

部活動編 水泳部 トビウオの伝統脈々

柴田保監督(前列左端)に率いられ、高校総体に連続出場していたころ=1990年

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 西山台東端のプール入り口の塀に、名スイマー古橋広之進(昭20卒)=東京都=の顕彰プレートがある。古橋の座右の銘「泳心一路」の文字と力強く泳ぐ写真、華々しい成績が刻まれている。一九九八(平成十)年、現在の五十メートルプールの完成に合わせて水泳部OB会が贈った。

 OB会名簿には、浜松二中第一回卒業生から数えて四百人以上が名を連ねる。五年前に名称を「泳翠会」とした。「『翠』は翡翠(ひすい)の翠。昔はプールに飛び込んだ瞬間に見える水が濁って翡翠のような緑色だったから」。会長の磯部育夫(昭43卒)=浜松市神立町=は名前の由来を説明する。

 四七年の第二回国体以降、ほぼ毎年選手を送り込んだ水泳部。五一年には、連続三回目の出場だった倉橋範彦(昭27卒)=東京都=が百メートル背泳ぎで優勝。倉橋は大学一年生の五二年、古橋とともにヘルシンキ五輪に出場した。

 雄踏小時代から、同郷の古橋にあこがれていた倉橋は、後を追いかけるように一流スイマーに。昨年六月まで日本水連事務局長として、古橋とともに日本水泳界をリードしてきた。

 数十年の間には、名門水泳部にも浮沈があった。五七年、浜名湾高校選手権水上大会で七年ぶりに優勝。個人では六七年に新井到(昭44卒)=東京都=が高校総体四百メートル自由形を制した。七〇年ごろから冬の時代を迎える。“古豪復活”の特命を帯びた柴田保が八四年、監督に就任。柴田は進歩的な練習方法と一日八千メートル以上の泳ぎ込みで部を立て直し、総体七年連続出場に導いた。

 OBの期待を背負う現部員たち。二年生の朝日翔は福田中時代に全中に出場し、昨年の国体では七位に入賞した。目標は「総体で表彰台に上がること」。「自分はそんなに強くないので…」と控えめな一年生の鈴木茜は「東海大会に出られるよう頑張りたい」。

 OBたちは陰に日なたに後輩を支えてきた。本多秀行(昭28卒)=浜松市菅原町=は以前、自身が経営する入浴施設に部員を招いてリフレッシュさせていた。磯部は、運営する温水プールを営業時間外に開放している。泳翠会は毎年遠征費を援助しており、今年は部旗も贈る予定だ。

 現監督の岡部和之は、部員が三学年で十人と少ないことに悩むが、磯部は「少数精鋭でいい。総体に何人送れるかが重要。苦しい練習経験を積むことで、勉強以外のものも学んで」と話す。倉橋も「高校生の大会に行くと、期待を込めてプログラムを開くんだ。西高の成績が気になるから。後輩には頑張ってほしい」とエールを送る。

(文中敬称略)

 

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