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浜松西高80周年 西山台に時移り

部活動編 野球部 創部36年目の甲子園

後輩の試合を観戦する永田晴一さん(右)と宮田守啓さん(右から2人目)=浜松球場で

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 今月二十一日、浜松球場のスタンドに浜松西高野球部のOB百五十人ほどが顔をそろえた。母校の創立八十周年記念招待試合の応援に、全国各地から駆けつけた面々だ。その中には、県大会優勝投手として、この日の始球式を務めた永田晴一(昭56卒)=浜松市上浅田=と宮田守啓(昭57卒)=東京都=の姿もあった。

 宮田は一九八一(昭和五十六)年夏、野球部が悲願の甲子園初出場を果たした時のエースだ。 監督青葉滋美(昭35卒)=袋井市方丈=と部長高見じょう吉(同)=浜松市佐鳴台=の同級生コンビに率いられ、シード校の西高は静岡大会の二回戦から登場。投打でチームを引っ張った宮田をはじめ、木下知之(同)=浜北市於呂=、吉田郁司(同)=千葉県=らの活躍で手堅く勝ち進み、決勝では東海大工に3−0で勝利。宮田は全六試合完封という快挙もなしとげた。

 創部から三十六年目にしてつかんだ栄光。OBにとっても長年の夢だった。前年春の大会は優勝、夏は準優勝。ベスト4やベスト8進出は数知れず、過去十二回もシード校になりながら、あと一歩のところで涙をのんできた。

 宮田には忘れられない光景がある。「優勝が決まった直後、あの太田先輩が顔をくしゃくしゃにして泣いていた」。元巨人軍の中畑清ら、多くのプロ野球選手を育てた駒沢大野球部の名将太田誠(昭30卒)=東京都=の姿。毎年夏の大会前に西高に顔を見せ、後輩にカツを入れる「怖い先輩」だった。

 宮田のチームメートで主将だった現監督の清水淳次(昭57卒)=浜松市半田山=は「前年の準優勝経験で守り中心の戦い方が身に付き“僅差(きんさ)で勝つ野球”を完成させた」と勝因を分析する。

 宮田は清水に感謝する。「熱いやつでね。“目標は甲子園”と常に言葉に出していた。おかげで自分も含め、皆に明確な目標ができた」

 当時も今も、練習時間はほぼ同じ。平日は早朝三十分と放課後の約三時間半、土日は練習試合。進学校では、練習時間の確保が難しい。二年生で投手の鈴木通仁主将は、短期集中練習を気に入って西高に入学した。「まずは監督の時のチームが目標。でも、最終的にはその上を行きたい」と投げ込みに余念がない。

 バス九十三台、約八千人に及ぶ大応援団の声援を受け、甲子園の一回戦は佐賀学園に1−0で勝利。スタンドは歓喜の渦に包まれた。大会最多、五万七千人の観客が詰めかけた二回戦は、大阪の強豪北陽に2−1で惜敗した。

 招待試合を観戦していた永田は「今年は投手が投げて自分で打つ、西高の伝統にのっとったいいチーム。甲子園の時に似ている」と分析。三年前の春から母校で指揮を執る清水は、全OBの期待をひしひしと感じる。「“夢よ再び”とね」

(文中敬称略)

 

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