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浜松西高80周年 西山台に時移り

校史編 校舎焼失 落胆越え講堂で授業

未明の出火で炎に包まれる校舎=「浜松西高50年のあゆみ」から

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 「本校校歴に於て空前絶後の大事件」。第五代校長、伊藤新七郎(故人)が後にこう述懐する一大事は、半世紀前の一九五四(昭和二十九)年七月五日に起こった。

 その日の未明、就寝中だった服部義昭(昭32卒)=浜松市東伊場=は家族の声でとび起きた。

 「西高の方が火事だ!」。校舎は小さな山を一つ隔てた西側。隣の山に駆け上がると、西高が炎に包まれていた。

 午前三時半ごろ、北校舎から出た火は南校舎にも及び、二階建て校舎二棟など約二千八百平方メートルを焼いた。創立以来、三十年の歴史を刻んだ木造校舎は、ごう音とすさまじい火柱の中で焼け落ちた。

 遠方の生徒は当日朝、登校してきて事件を知り、ぼうぜんと立ち尽くした。

 浜松市中野町から通っていた早川幸雄(昭30卒)=袋井市栄町=も「家にはテレビがないから知らずに登校して、びっくりした」と、その朝の光景を思い出す。

 幸運にも戦火をくぐり抜けた校舎だった。皆が心底、落胆した。「西高が大好き」という三年生の平野寿佳は「母校が火事になるのは本当にショックでしょう」と先輩たちの心情を思いやる。

 生徒、教師らは気力を振り絞って焼け跡の片付けを始めた。服部も、灰で鼻の穴まで真っ黒にしながら作業をした。「焼け残った柱や梁(はり)にロープを結んで、綱引きのように大勢で引っ張って倒した。両方とも太くてしっかりしていたから、まいったよ」。幾度もロープが切れた。夏休み返上で作業をし、二学期の開始は八月中旬に繰り上がった。

 仮教室は焼失を免れた講堂と新講堂など。内部を高さ三メートルほどのベニヤ板で間仕切りしただけ。「薄いベニヤ板には、悪童どもがすぐに穴を開けた」と服部。岡部和右(昭32卒)=浜松市西伊場町=も「隣の教室に女子生徒が五人いて、のぞき穴が開けられた。だんだん大きくなって、しまいには隣の教室の声の方がよく聞こえた」と笑う。

 ぎゅう詰めの教室では、他クラスの授業の声がダブって聞こえた。厳しい学習環境を知り、三年生の中村忠史は「自分の気持ちを立て直すこと、やる気を出すことが大事ですね」と気の毒がる。だが、のんびりした西高生は、そんな状況を意外と楽しんでいた。

 “壁”を飛び越えて手紙が行き交ったり、隣の教室の友人と話したり。時には黒板消しが飛んできたことも。黒板消しは授業中の先生の頭に落下し、生徒は肝を冷やした。

 火事の原因は放火とも漏電とも言われるが、未解明のままだ。翌年十一月、伊藤らの尽力で鉄筋コンクリート三階建ての新校舎が完成。二代目校舎は、九〇年の建て替え開始までの三十五年間、西高生の学舎(まなびや)となった。

(文中敬称略)

 

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