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浜松西高80周年 西山台に時移り

校史編 学制改革 男女共学に週5日制

お茶の作法を学ぶ共学1期生の女子生徒=1949年ごろ(「浜松西高50年のあゆみ」から)

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 占領下の日本では、GHQ(連合国軍総司令部)の手で各方面の改革が断行された。一九四七(昭和二十二)年に教育基本法が公布され、浜松二中も新制中学に移行。四八年には高校に昇格し、新制の浜松第二高校となった。浜松西高に改称したのは翌四九年のことだ。

 「履歴書を書くのが難しくて」。坂田定男(昭26卒)=雄踏町宇布見=は苦笑いする。坂田は二中に入学し、新制の二中、新制浜松第二高校を経て浜松西高を卒業した。

 四九−五一年にかけては男女共学、週五日制、公立高校普通科に厳密な学区を設ける小学区制が矢継ぎ早に打ち出された。

 岡本和孝(昭27卒)=浜松市田町=は男女共学の一期生。ただし、入学したのは西高ではなく、浜松市立高だ。旧制高等女学校が前身の市立高も、西高と同じ四九年に共学化。市立高の学区に住んでいた岡本には、高校選択の自由がなかった。だが共学は一年でうち切られ、岡本は西高に転校。

 三百三十人対二十八人の“女の園”でノイローゼ気味にもなった岡本だが、解放されてみると、逆に「男子ばかりの西高が怖くて」。こちらは約三百五十人中、女子生徒はわずか六人。

 共学一期生の佐藤嘉子(昭27卒)=東京都東村山市=は、市立高に通うつもりで制服も作ったが、やはり学区の壁に阻まれた。「西高で一番困ったのはトイレ」と力を込める。はじめは職員用を使ったが、慣れてくると男子用を拝借。「必ず複数で行き、周りに見張りを立てた」

 「料理の時間にふと気付くと、男の子の顔が窓にずらりと並んでいた」。男子生徒の注目を浴びることもあったが「体育もやったし、砲丸投げもさせられた。少数派でも、特別つらい思い出はない」。教師はもちろんのこと、異性に関心があったであろう男子生徒も、節度を持って女子生徒と接した。西高生のモットー「ヤング・ジェントルマン」を体現するように。

 いま、理数科三年の国原千裕のクラスは四十人中、女子生徒が九人。「全校生徒中六人は本当に少ない。でも、私たち女子は人数が少ないからこそ、仲がいいんですよ」。先輩もそうでしょ、と言いたげだ。同じく豊田晃一は実感を込めて言う。「行きたい学校に行けるのは、いいことなんですね」

 木全富雄(昭28卒)=浜松市東伊場=は「小学区制では優秀な人が入学した。でも、週五日制の七時限授業が長すぎて身が入らず、その影響で、進学状況はいまひとつだった」という。

 週五日制は一年間のみの導入で、小学区制とともに五一年度で終わった。

(文中敬称略)

 

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