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浜松西高80周年 西山台に時移り

校史編 2万メートルマラソン 文武両道めざし鍛錬

2万メートルマラソンでゴールする生徒。胸に二中の校章が見える=二中前で(「浜松西高50年のあゆみ」から)

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 初代校長枩田与惣之助のもと、教師、生徒らが一丸となって、新しい学門の府への気概に満ちていた草創期。他校より長い授業時間に加え、大量の宿題やテスト。試験の成績は一番からビリまで廊下に張り出された。

 枩田は遠足や遠泳、マラソンなどで心身の鍛錬を求め、生徒全員の文武両道を目指した。全校生徒による二万メートルマラソンは地元の風物詩。毎年秋のある日、西坂を降りて雄踏−篠原−旧東海道を走る二中生の列が延々と続いた。鈴木英吉(昭13卒)=浜松市住吉=は三年の時、思いがけず一着になった。「途中で皆が歩くというのを知らなくて。頑張って走ったら一番になっちゃった」。おかげで陸上部に入部させられ、しごかれた。

 確かに「あまりまじめには走らなかった」という川上龍一郎(昭14卒)=浜松市広沢=らの証言もある。寺田富一(昭12卒)=天竜市山東=は思い出し笑いをする。「トラックの後ろにぶら下がっているのを先生に見つかり、怒られた人がいた」。悪路で車がスピードを緩めるのを見計らい、車体の後部に飛びついたのだという。

 マラソンの翌日から、皆がひどい筋肉痛に悩まされた。階段を上るのも苦痛。「普段はがたがたと大きな音が響く木造校舎内が、数日間しーんとした」と寺田。瀬口隼男(昭15卒)=鹿児島県樋脇町=は長距離走が苦手で「順位は尻から数えた方が早かった」。山田喜麓(昭10卒)=雄踏町宇布見=も「気が重い行事だった。でも学校の行事だから…」。

 多くの生徒が悩まされた“二中名物”も、戦争の混乱にまぎれて姿を消した。現在のマラソン大会は中田島砂丘周辺で開かれる。男子八キロ、女子四キロとはいえ、砂浜を含むコースは相当きついはず。それでも三年生の氏原大介と金子由佳は「昔の方が大変。今は緩い」と口をそろえる。

 特定の運動選手は育てないという枩田の方針で禁止されていたクラブ活動も、二代校長阿部三四(故人)の時代に解禁となる。テニスをはじめ、弓道、陸上、卓球など各部が次々と誕生。対外試合にも参加した。

 勉学、スポーツに打ち込む一見平和な二中にも、戦争の影が忍び寄っていく。軍事教練の時間が次第に増え、二中生自慢のプレスズボンと革靴は川上が四年生のころ、ゲートルに替わった。

(文中敬称略)

 

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