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浜松西高80周年 西山台に時移り

先輩後輩 勇

左指の切断を克服

昭和20年卒 日本水泳連盟名誉会長 古橋 広之進さん(76)

「人生は自分で考える工夫と努力がないとだめ」と話す古橋広之進さん=東京都の岸記念体育会館で

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 「フジヤマのトビウオ」が唯一水からあがっていた時期。それが浜松二中時代だった。

 一九四一(昭和十六)年の入学以来、勤労動員で水泳どころか勉強もほとんどできない状態。そこへ手の指を切断する事故が追い打ちをかけた。

 三年の時、動員先の工場で、左手の中指第一関節から先を旋盤に巻き込まれた。一瞬の出来事だった。水泳選手にとって致命的ともいえるけが。しかし、何より泳ぐことが好きな“トビウオ”は日大水泳部に入り、不屈の闘志で復活した。

 左手のハンディキャップを補うためにフォームを改造。鍛えあげた右手で左手の分をカバーし、キックを工夫してバランスをとった。独特な泳ぎ方は“変則泳法”とも呼ばれたが、意に介さなかった。食糧難で、空きっ腹を抱えながら毎日、誰よりも長距離を泳ぎ込んだ。

 敗戦直後の日本を勇気づけた全米選手権での活躍は、あまりにも有名だ。四九年、厳しい対日感情が残る米国に乗り込み、自由形三種目に世界新記録で優勝した。その快挙に日本中が歓喜し、希望の光を見いだした。現役時代は四七年の四百メートル自由形を皮切りに通算三十三回、世界新記録を塗り替えた。

 二中での四年間は、水泳人生の中でほぼ空白の期間。それでも「二年生の終わりまでは、工場での作業が終わると西山台に戻り、空襲の防火用水になっていたプールで真っ暗になるまで泳いだ」と懐かしむ。

 困難な時代を共に乗り越えた旧制十八回の卒業生は、今でも年に二度、同窓会を開いている。「同じ釜の飯を食い、作業で力を合わせたからね」 

練習計画は自分で

平成2年卒 バルセロナ五輪柔道銀メダリスト 溝口 紀子さん(33)

 アテネ五輪では三色旗を胸に付けた。フランス女子チームのコーチとして、二年前から選手を指導。48キロ級決勝で谷亮子選手と対戦した教え子、ジョシネ選手は銀メダルに終わった。

 柔道を始めたのは「小学生の時、体格が良くてね。友達にやせるよ、と言われたから」。地元の柔道クラブに入り、頭角を現した。勉強との両立を目指して進んだ西高は、柔道人生の中で大きな比重を占める。当時の飯田稔監督、顧問の宮崎貞夫教諭は自主性に任せるという方針。練習計画は自分で立てた。

 一年生の時は紅一点。「男ばかりの中で、たくましさが身に付いた。どこにでも住めるし、どんな環境でも柔道はできると知った。女子部員がほかにいたら流されてしまい、高校でここまで結果を出せなかったかも」

 「入学式も卒業式も、試合で出られなかった。一番の思い出は、三学年の女子全員で走ったマラソン大会の三連覇」と笑う。

(文中敬称略)

 

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