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浜松西高80周年 西山台に時移り

変わらない気質 名物の坂 2万4000人が通う

今も昔も“西高名物”の学校前の坂

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 JR浜松駅から西へ約二・五キロ。佐鳴湖へ通じる主要地方道浜松雄踏線(雄踏街道)沿いの小高い丘を早朝、高校生たちが息せき切って上ってくる。古くから「西山台」と、市街地を一望するこの丘を呼んでいる。今年、創立八十周年の節目を迎える県立浜松西高校。一九二四(大正十三)年に県立浜松第二中学校として開校以来、これまでに約二万四千人の若者たちが志を抱いてこの坂を上った。

 丘の上の校舎に向かって続く、東西の坂と北坂。登下校の生徒の足腰を鍛えるに格好の急こう配は、八十年前と変わらない“西高名物”だ。浜北市小松の会社員、野末武志さん(50)=昭和48年卒=は、二男一女がみな西高の卒業、在校生。この同じ坂をそれぞれに上った。

 長男の将大(まさひろ)さん(19)は昨春西高を巣立ち、現在は信州大二年生。長女茉美さん(17)は現役三年生、サッカー部員の二男征哉君(16)は一年に在籍している。

 二〇〇二年に中高一貫教育が始まり、ことしで三年目。高校の定員が半減し、男子の制服が学生服から紺のブレザーに変わった。「長男は自分と同じ学生服で、校章も学年章も当時のまま。うれしかった。でも、今はブレザーだから…」と武志さんは少し残念そう。

 「熱心に勉強をする学校だから」と西高を選んだ将大さん。茉美さんは「兄が楽しそうだったし、ソフトテニスをやりたくて」入学した。共にソフトテニス部に入部。かつての顧問で、二人を指導した長坂靖之教諭=現中等部教諭=は「まじめで部活熱心な二人のように、素直で明るい生徒が多い」と常々感じている。

 武志さんが入学したのは、七〇年安保の学園紛争が一応終息した直後。前年の六九年には、校内で反戦集会を開いた他校生徒が警官隊に排除される事件が起きた。武志さんも入学後、生徒が口ずさむ反戦歌や、図書館の蔵書の反戦的な落書きを覚えている。

 「ブッシュ米大統領やイラク戦争について、友達同士で話すことはあるけど…」と茉美さん。当時を知る武志さんと勝田敏勝教頭、長坂教諭は「時代背景が全然違うからね」。

 「それでも、生徒の気質は変わっていない」と、武志さんが言葉を継いだ。「息子たちを見ていても、好きなことに取り組んで型にはまらない。遊びと勉強のバランスがとれた、昔と同じ西高カラーが続いている」

 学校行事で全校生徒が盛り上がるのも同じ。文化祭、体育祭、コーラスコンクール…。「放課後、公園や公民館を借りてクラスの皆でコーラスの練習をした」と将大さん。武志さんは「おれたちはお金がなかったから、教室でやった」。強制でない、生徒たちの自主的なクラス練習のスタイルも「先輩から受け継いだ」と口をそろえる。

 丘の上に建つ校舎からは、昔も今も、天気のよい日には遠くに富士山を望める。草創期に制定された校訓「知・仁・勇」。高い知性(知)、豊かな心(仁)、たくましい力(勇)をその三文字に託した西高精神を、卒業生や今日の在校生に探ってみる。

石田邦明校長

 先輩がこの西山台でどう困難に立ち向かい、自分をどう培ったのか、その生きざまを連載を通して知ってほしい。高校時代に学んだことは、その後の人生を支えるスピリットになるでしょう。

川島順三同窓会長

 知性を高め、感性を磨き、意志を強めるという校訓「知・仁・勇」。先輩方から受け継いできた私たちの伝統です。各界各層で活躍する同窓生の原点でもあります。同窓生は在校生をサポートし、範を示していきたいと考えます。

 

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