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浜松学芸高100周年 学芸の詩

同窓生編 輝く日本新 水泳で快挙 国体3連覇

 「先生、本当ですか? すごい!」。教え子の一人が歓声とともに保健体育非常勤講師の笠原(旧姓新井)里子=浜松市富塚町、昭31卒=に熱いまなざしを向けた。元水泳部員の笠原は半世紀前の昭和二十九年、全日本高校選手権五十メートル背泳ぎ37秒2の日本新記録を樹立。百メートル背泳ぎで国体三連覇を遂げるなど「信愛水泳」の基礎を築いた。

 笠原は舞阪町弁天島の生まれ。「眼前の浜名湖で貝を採ったり泳いだり。私には格好の遊び場でした」。小五で水泳を始めた笠原は舞阪中時代にも頭角を現した。中学の水泳コーチの推薦で信愛へ。だが当時、校内にはプールがない。そこで近くの浜松北や浜商、市立など他校のプールをわたり歩いた。

 「北高では男子約二十人に交じって女子は私一人。でもキックのパワーでは男子に劣らなかったんですよ」。生来の負けじ魂をのぞかせる。「当時は長距離をゆったりこなす練習法。呼吸が苦しく、つらいという記憶がなく、水泳は遊びの延長に考えてました」

 高一の夏、最初の大舞台は東京・神宮プールでの全日本選手権。試合会場には二代校長の中村春治郎も足を運んだ。「汽車の中で校長先生は浜松から東京駅まで約六時間ずっと背筋をぴしっと伸ばしたまま。私もじっとしていたままで、つらかったあ」と苦笑する。

 当時の身長は一メートル五十センチ余。やせて小柄な笠原は大柄な一般、大学生らの“谷間”でスタート台に立った。「観客席で校長先生がにこやかに見守る姿がみえた。それで不安と緊張がほぐれ『エイ、やれ!』って気持ちに。それと校長先生の教育方針でよく座禅を組んだことが集中力の養成に役立っていたかもしれません」。この大会では決勝には進めなかったが、自己記録を十秒も縮めた。続く八月の全日本高校選手権、九月の国体で日本新のラッシュ。入学一年目での大活躍が、後の水泳部の隆盛を招いた。

 水泳の名門天理大を出て母校の教諭となり、昭和三十八年まで現役選手として活躍。その年、国と県から「国体十年連続出場」の表彰を受けた。自ら出した日本新記録は実に十二回に上る。

 笠原の偉業を知った普通科二年の水野美幸は「生徒の面倒見がよく、お母さんのような先生。いつも『楽しく一生懸命』という感じです。私も先生の水泳のように生涯打ち込める何かをみつけたい」。満面の笑みでまた恩師を見上げた。

(文中敬称略)

 

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