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浜松学芸高100周年 学芸の詩

歴史編 良妻賢母教育 遠州女性に息づく薫陶

昭和初期の授業風景

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 「タンスの着物はすべて自らの手縫いです。このお洋服もそうですのよ」。元同窓会長の服部ちゑ=昭6卒、浜松市湖東町=は、たおやかな笑みを浮かべた。初代校長中村みつが施した良妻賢母教育は、服部ほか多くの遠州女性に息づいている。

 みつは、誠心高校(現浜松開誠館高校)の創設者長谷川鉄雄の妻千瀬子、遠州の女医の草分け的存在の内田みつ(浜松市元城町の産婦人科医内田智康の祖母)と並び、明治期の“浜松三女傑”とされる。浜松で私学の女子教育のさきがけとなった業績は“女傑”の名にふさわしい。

 明治三十六年開校の浜松裁縫女学校は本科二年と速成科一年を置き、修身、作法、茶華道、割烹(ぽう)、家事、裁縫、国語、算数などを教えた。みつは、いつも背筋を伸ばし、礼儀正しくふるまう威厳に満ちた校長だった。服部は作法の授業でのみつをこう振り返る。

 クラスの生徒が一人ずつ先生へお茶を運ぶ。番が来るまで正座。一人の女生徒が足のしびれを切らし、畳の上でひっくり返った。「これがおかしくて。でもアハハと大声では笑えなかったんです」(服部)。みつの礼儀作法とは「人様の前で笑うときは右手を口に当て、うつむき加減に軽く『おほほ』とだけ、お笑いなさいませ」。当時、服部は自宅でもこの「おほほ」を繰り返し練習したという。

 明治四十四年、みつは最愛の夫で最も頼りになる万吉を亡くし、学校経営も窮地に陥った。親族会議では学校経営を他人に託し、二人の子も奉公に出そうとの結論が出た。が、みつは「私は及ばずながら、このまま学校を経営し、誓って亡き夫の遺志を貫徹します」と気丈にこたえたという。

 丁寧語、謙譲語もごく自然な服部から、駆逐されつつある「大和なでしこ」の言葉が浮かんだ。しとやかに笑い、窮地には歯をくいしばって耐えたみつの薫陶が、その中に生きている。

 みつ像について茶道部長の山村陽子(3年)はこう話す。「女性の優しさと強さを兼ね備えたすてきな女性」と。そして「私自身、部活で礼儀作法や言葉遣いに気を付けるようになってから人間関係も円滑になった気がします。思いやりをもって接すれば相手も真剣にこたえてくれるんです」

(文中敬称略)

 

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