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二俣高校90周年 「木の花」の下で

卒業生は語る 秋野癸巨矢さん

母が貫いた『画業の志』

母の秋野不矩について語る癸巨矢さん(左)と矩之さん=浜松市二俣町で

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 「御元気で 志を高く 必ず遂げてください」。二俣高の校長室に飾られた一枚の色紙。一九九九年に文化勲章を受章した日本画家秋野不矩=本名秋野ふく、高女9回卒=が、後輩たちにあてたメッセージだ。二〇〇一年十月に九十三歳の生涯を閉じるまで、創作への意欲を燃やし続けた。

 「母も言ってましたが、絵を描くのは小さいころから好き。小学校六年の時に赴任してきた鈴木俊平先生との出会いが、大きな影響をもたらしたようです。美術学校出の先生から写生を教わったり、ゴッホなどの画集を見せてもらったりしていた」。長男の癸巨矢(きくし)さん(72)=神戸市=はそう話す。

 二俣高等女学校から県女子師範学校を卒業、小学校で一年余りの短い教師生活の後に日本画家の道を歩み始めた。早くから官展で活躍、戦後は新しい美術団体の結成に尽力する。一九六二(昭和三十七)年、インドの大学に客員教授として招かれた。このインドでの一年間の滞在が契機となって作風は大きく変化、インドの風土や人々を題材の中心に独自の画境を切り開いていく。

 文勲勲章を受章する前年の一九九八年四月、母校の二俣高を見下ろす小高い丘の上に秋野不矩美術館が完成した。「このときは母はとても喜んでいましたね」。癸巨矢さんと四男の矩之さん(63)=東京都杉並区=は顔を見合わせて当時を思い出す。

 天竜を離れてから長く住んだ京都府美山町は、景色が天竜とよく似ていた。癸巨矢さんによると、最後まで天竜の方言を使っていたという。いつも故郷に思いを寄せ、母校には赤いストールが印象的な「インド女性」(一九六四年)などの作品を寄贈している。

 「私もここ(二俣高)で学びました。志を貫いて」。母校で行われた文化勲章受章後の祝賀セレモニー。やさしく語りかける姿は後輩たちに大きな感動を与えた。

文中敬称略

 

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