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二俣高校90周年 「木の花」の下で

学校の歩み 高等女学校時代

1915(大正4)年4月、学校創立当時の校舎風景=学校記念誌より

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創設に小沢町長の英断

 一九一五(大正四)年四月一日、地域の願いと期待を担って二俣町立実科高等女学校が、二俣高等尋常小学校内に開校した。三年制で定員百五十人。学校創設には当時の二俣町長、小沢義助(一八六四−一九一六年)の英断があった。

 一九〇二(明治三十五)年に第五代町長に就任した小沢は、二俣小創設、天竜川鹿島吊り橋の架設、道路整備や産業開発などを進めた実力者。二俣実女の創立にも力を入れた。現在の藤枝市の生まれで天竜出身ではなかったが、北遠地域の発展に尽力した功績は大きい。今年二月、旧二俣町庁舎前に小沢の新しい胸像が地元自治会によって設置され、その業績を広く伝えている。

 学校創設当時の交通機関は馬車。とはいえ回数は少なく、生徒らは早朝から歩いて通学した。遠方の生徒のためには学校近くに民家を借りて寄宿舎としていた。

 一九二七(昭和二)年には県立移管が実現して二俣高等女学校となる。全校生徒の秋葉山登山、籠球部をはじめ盛んだった運動部の活動−。戦時色が濃くなるまでの高女時代は、楽しく忘れられない思い出が数多くつくられた。

 思い出の一つが、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)をまつる学校裏山の浅間神社参拝。参拝は学校行事として毎月行われていた。校章は、神体の八咫の鏡(やたのかがみ)をかたどってつくられている。

 長く同窓会長を務めた高女21回卒の向井喜美(85)=浜松市二俣町=は「級長をしていた三年生の時、校章の図案について学校から意見を聞かれたことがあります。出来上がった校章は七宝焼の美しいものでしたね」と懐かしむ。男女共学となった現在の校章にも、そのデザインは受け継がれている。

文中敬称略

 

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