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袋井商業高校80周年 飛翔

歴史編 戦後 再び商業校として

旧校舎跡地に残る当時の正門=袋井市高尾で

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 戦時下、工業学校に転換させられていた学校は一九四六(昭和二十一)年四月、商業学校に“再転換”した。四七年までは工業学校の名称も残り、この二年間は「商」「工」二つの学校が併存する珍しい形が続いた。

 「教育の機会均等」「男女平等」などをうたう「学校教育法」が四七年に成立し、六三三制の新学制が実現した。当時の袋井町長、戸倉完爾氏らは、高等学校への昇格を県へ陳情。四八年四月、土木、建築、商業の三科を持つ袋井実業高校として新たにスタートした。しかし翌年四月には、近隣校の動向や中学生の進学状況を考慮し、普通科のある袋井高校に名称変更することになった。

 商業、建築、土木の各科に加え、普通科と定時制が新設された袋井高校。学校規模の拡張により、生徒数は八百人を超えた。クラブ活動も活発化し、珠算、美術、弁論など三十二の文化部と陸上、水泳、野球など七の運動部が、各種大会で活躍していた。当時の学校報は「校内の風景はそれは勇ましいもの。中庭では建築や測量の実習。一方では『ねがいましては〜』とそろばん練習に大声を張り上げるありさま。こうなるとデパート並みだった」と、校内のにぎやかな様子を伝えている。

 また男女共学化に伴い、初の女子生徒四人が商業科に入学した。そのうちの一人、堀内(旧姓西山)和子さん=昭和二十七年卒、袋井市葵町=は「入学当初は、男子生徒から物珍しい目で見られ戸惑いましたが、すぐに慣れて楽しい学校生活でした」と当時を懐かしむ。その後、女子生徒数は年々増加した。

 袋井高校時代は十年間続いた。だが創立当初の「企業人育成機関」を望む地元の声が高まり五九年、現在の袋井商業高校になった。校章は戦前から親しまれている「FC(袋商)」のマークで復活。商業校として再び歩み始めた。

 生徒数が千人を超え、増築を重ねた校舎が手狭となった六三年、創立の地・高尾から現在の久能の地へ移転することになる。移転後の旧校舎は、袋井市役所本庁舎として利用された。市役所庁舎移転に伴い八一年に取り壊され、現在、跡地は市中央公民館となっている。傍らには当時の正門が残され、この地で学んだ生徒たちの心の支えとなっている。

全国大会出場は大きな自信 吹奏楽部長 3年 赤堀 智美さん

  今年八月、福井県で行われた「全国高等学校総合文化祭マーチング部門」に静岡県代表として出場しました。全国大会という大舞台でマーチングを披露できたことは、大きな自信となりました。来る十二月二十一日には「第四十一回定期演奏会」が開催されます。大舞台を経験するたびに自分たちが成長していることを実感できます。支えてくれた顧問や父母会の皆さんに感謝したい。

(文中敬称略)

 

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