トップ > 静岡 > 高校・大学周年特集 > 袋井商業高校80周年 > 記事

ここから本文

袋井商業高校80周年 飛翔

歴史編 高度経済成長 久能に学舎を移転

生徒たちが校庭整備に汗

久能に移転して間もないころの新校舎

写真

 戦後の混乱が過去の時代となりつつあった一九六三(昭和三十八)年、創立の地・高尾から現在の久能に学舎を移して、新たな歩みが始まった。

 時は、高度経済成長の真っ直中。木造校舎に変わる鉄筋コンクリート建ての新校舎は、すぐ南側で工事が始まっていた東名高速道路と争うように、急ピッチで建設が進められた。

 山を削って造成した校舎地に比べ、沼地を埋め立てたグラウンドの造成工事は難航した。埋めても埋めても水がたまる軟弱な地盤。当時の生徒たちは、連日のように整備作業に汗を流したという。完成したグラウンドの大きさは、県内公立高屈指の規模となる約二万五千平方メートル。野球や陸上トラックをはじめ、テニス、バレーボールコートを備え、学校の誇りとなっている。

 その後も体育館やプールなどの施設が相次いで完成し、毎年、戦後のベビーブームに誕生した四百人近い新入生を迎え入れた。商業経済の合理化・機械化が進んだ七二年には、教育課程に小学科制度を取り入れ「事務管理」「経理」「経営」の三科を設置。当時の社会背景に対応すべき体制を整えた。

 一方で、生徒の学校生活にもさまざまな変化があった。若者の間で安保闘争やベトナム反戦運動が巻き起こった六〇年代後半、男子生徒が長髪を認める運動を学校に起こした。「生徒は丸刈りにすべきだ」という当時の学校方針に対し、生徒会などが中心となって猛反発。約十年かけて長髪解禁を認めさせた。

 八〇年代に入ると、派手な髪形と学生服、不良がかっこいいとされる「ツッパリ」が全国の高校生の間で流行、その波は久能の地にも押し寄せた。生活態度やクラブ活動に、従来の活発さがなくなった生徒たちに、当時の牧田秀二校長は「学校行事をサボったり、校歌が大声で歌えなかったりすることは最大の危険信号。優れた伝統をつくり出すには人間関係が大切」と呼び掛けている。

 「きっと今の高校生の方がまじめで、しっかりしてますね」と、当時を振り返るのはJR袋井駅前で宝石業を営む田中紀久さん(37)=昭和六十年卒、同市高尾町。「でも当時は心を許し合える友人や尊敬できる先生方との出会いがあった。たくさんの思い出を作ってほしいですね」と、後輩たちの学校生活の充実を望む。

主将を務めたことは大きな糧 野球部主将 3年 森 雅俊さん

 高校生活の中で最も力を入れていたのが野球です。野球部に入部してからの三年間で多くのことを学びました。頑張って来られたのは、自分一人の力ではなく、両親や先生方、OBの方々のおかげです。この感謝の気持ちを決して忘れません。また創立八十周年の節目の年に主将の大役を務めたことは大きな糧になりました。

(文中敬称略)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索