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袋井商業高校80周年 飛翔

歴史編 草創期 『わが町にも学校を』

地元商人たちの切実な要望

1927(昭和2年)に完成した本館校舎=現在の袋井市大門

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 開校から十年後の同窓会報に掲載された「学校沿革歌」の冒頭に、こんな歌がある。「地方文化は改まり 鉄車十字をなす町に 中等程度の学校の 設けなきを遺憾とし」。中等教育機関がなかった袋井地域に地元企業人育成機関を望んだ商人たちの切実な声だ。

 鉄車十字をなす町−。大正初期、現在の袋井市中心部は、国鉄東海道線と秋葉鉄道、中遠鉄道が行き交う交通、商業の要衝としてこう呼ばれていた。駅前には飲食店、宿屋、物販店など約五百店以上が軒を並べ、運輸、物産、製材株式会社が相次いで創業。中東遠商圏の拠点を目指すべく、町は活気に満ちていた。

 明治以降、県内都市部では次々と中等教育機関が開校。中遠地域では、県立農学校(現・磐田農高)磐田郡立実践高等女学校(現・磐田北高)などが誕生していた。一九一七(大正六)年「わが町にも学校を」を願う当時の袋井町と笠西村は、県に地元中等学校建設を要望。しかし新設校は磐田の見付中学校(現・磐田南高)に決まった。

 あきらめきれなかった袋井町と笠西村はすぐに中等学校建設委員会を発足。初代学校管理者となった戸倉実太郎・笠西村長、初代校長の船越勇三郎・袋井小校長らが連日のように県と折衝を繰り返し二三年、甲種商業学校設立の認可を受けた。同年、静岡、沼津、浜松の各県立校に続く商業校、袋井町・笠西村組合立県袋井商業学校としてスタートを切った。

 当初予算は十万七千円。半分以上が寄付でまかなわれたという校舎は、笠西村小学校の二教室を間借りした物だった。しかし定員百二十人に対し入学志願者は四百五十人を超えた。翌年、笠西村高尾大門=現・袋井市大門=に最初の校舎を建て二七年に木造二階建ての本館校舎を建設。二九年には県に移管された。

 当時のOBは「学生、生徒が一丸となって新設校の特色を出していこうと張り切っていた」と声をそろえる。一期生の塩谷好太郎さん(94)=昭和三年卒、東京都在住=は「当時は教材、教師を含めて何もなかった。年齢層もさまざまで、ずば抜けた秀才もいました」。市内で履物店を営む岡本昌三さん(87)=昭和十年卒、同市高尾町=は「自由な校風でバンカラなやからが多かった」と懐かしみ「後輩たちには時代を読んで企業を興し、地元を活性化してほしい」と期待を込める。

水泳部を選んでよかった 水泳部部長 3年 鈴木千帆美さん

 水泳部で三年間頑張ってきました。入学時は、まともに二十五メートルも泳ぐことができなかった私が、目標だった東海大会に出場できたのがうれしく思い、顧問の先生方をはじめ多くの人に支えてもらったことを心から感謝しています。一番の喜びは、三年間ともに頑張った仲間がいることです。練習は苦しかったけれど、袋商に入学し水泳部を選んでよかったと思っています。

(文中敬称略)

 

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