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瀧谷寺5棟重文に 文化審 近世の姿残り評価 三国

江戸中期に建てられた本堂=県教委提供

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 国の文化審議会(馬渕明子会長)は十九日、坂井市三国町滝谷一丁目にある真言宗智山派の古刹(こさつ)「瀧谷寺(たきだんじ)」の本堂や観音堂など五棟を、重要文化財(重文)に追加指定するよう、松野博一文部科学相に答申した。近世を中心とした寺の建物が密集して残り、当時の姿を伝えていることが評価された。境内の建物のうち鎮守堂が既に重文となっているため、県内建造物の重文指定は二十七件で変わらない。 (清兼千鶴)

 瀧谷寺は一三七五(永和元)年創建。追加指定された五棟は本堂、観音堂、方丈および庫裏、開山堂、山門。山門正面の本堂は一六八八(貞享五)年に建てられ、梁(はり)には装飾で施された植物の文様が入る。福井藩主が庭を楽しむ場所として設けられた座敷を備え、七代藩主の松平吉品(よしのり)らが領内の視察やタカ狩りに出掛けた際、立ち寄った記録も残る。

 観音堂の梁にも本堂と同様に植物の文様が彫り込まれ、いずれも福井藩の大工の特徴を示す華やかな意匠が見られる。本堂とほぼ同時期に建てられた台所の庫裏と、住職が接客や対面のために使う部屋の方丈は、建築当初の姿をとどめている。

 これらの複数の建物が、良好な姿で保存されていることは、中世から近世に発展を遂げた寺院建築の変遷を理解する上で、歴史的な価値が高く、福井藩の大工の特徴も示しているとして指定された。

 瀧谷寺は、境内東側の高台にある鎮守堂が、北陸では希少とされる中世の建築として一九六二(昭和三十七)年に重文に指定されているほか、本堂奥の庭園も国名勝となっている。

住職、坂井市長ら 指定に喜びの声

瀧谷寺の観音堂を前に喜びを語る住職の貝谷隆慧さん=坂井市三国町滝谷1丁目で

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 瀧谷寺の本堂などを重文に追加指定するよう答申されたのを受け、地元の関係者からは歓迎の声が相次いだ。

 「歴代の住職が守ってきたもので、檀(だん)信徒の信仰があったからこそ。国からも価値があると評価をいただきありがたい」。貝谷隆慧住職(43)は追加指定を喜ぶ一方「(荘厳な伽藍(がらん)の維持に)重責を感じている」と話した。

 北海道比布(ぴっぷ)町出身。二〇一二年から住職を務める。瀧谷寺は国宝「金銅宝相華文磬(こんどうほうそうげもんけい)」(声明の合図などに使われていた工芸品)や重文を数多く所蔵し、多くの観光客も訪れるが「信仰がなければ単なる建物。祈りの場所として守りながら文化財としての価値を損なわないように」と心掛ける。一番怖いのは火事で、近年は全国各地で文化財の建造物に油類がまかれる被害も相次ぐなどしているだけに、「人災は防ぎたい」と気を引き締める。

 歴史のある建物だけに、これまでも檀信徒や行政などの支援を受けて修復してきたが、やらなければいけないところは多い。「今まで受け継いできたものを変えることなく次の世代へ伝えていけるか。大きな使命だ」と静かに語った。

 坂本憲男市長は「寺全体が国の貴重な文化財として広く認知されることになる」と歓迎。市観光連盟会長で三国會所(かいしょ)理事長の大和久米登(くめと)さんも「人々に三国を感じさせてくれる象徴の一つ。三国の歴史をまちの活力に生かしていかないといけないときに大変ありがたい」と、北前船で栄えた三国湊の活性化にプラスになると喜んだ。 (中田誠司)

 

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