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中日文化賞

松岡伶子バレエ団主宰 松岡伶子氏

2018年5月3日 朝刊から


松岡伶子バレエ団主宰 松岡伶子氏

松岡伶子バレエ団主宰 松岡伶子氏

中部地方の舞踊文化の振興 「日本物」の創作にも尽力

 戦後まもなくバレエを始め、現在に至るまで中部の舞踊文化をけん引する。指導者としても多くのダンサーを育て、日本物を題材にした創作作品の演出や振り付けでも才能を発揮した。

 バレエを始めたきっかけは宝塚歌劇。「名古屋の街も見渡す限り、焼け野原。そこに、戦後初めて宝塚がきたんです」。中学2年。こんなに美しいものがあるのかと驚いた。折しも上級生に「バレエをやらない?宝塚のようにきれいだから」と誘われ、飛び込んだ。

 しかし、稽古場は焼け残ったビル。窓ガラスがなく、雪が降り込んでくる。衣装にも苦労した。中学3年で踊った「カルメン」では、赤い布地が手に入らなかった。戦時中、派手な色使いは非国民だと言われたからだ。古い銘仙の着物を、赤と黒に染め直した。

 高校卒業後に上京。憧れの谷桃子バレエ団に入団し、ソリストとして活躍した。全国を巡演し多忙を極めたが、「名古屋でも教えてほしい」と請われ、1952年に市内に研究所を開設。名古屋で教える足掛かりとなった。

 海外のバレエ団に触れ、30代ごろから「日本人としてのバレエをつくりたい」という思いが高まった。民話から着想を得た「鶴」や「舌切雀(したきりすずめ)」。88年に初演した「あゝ野麦峠」は、「悲劇ではなく、家族のために働く娘たちのパワーを表現してくれた」と、原作者の故山本茂実さんに喜ばれ、うれしかった。

 バレエ団の卒業生は1万人を超え、愛知・三重・岐阜の19カ所に教室を構える。「ただただ踊りが好きという思いで続けてきた」。人間形成の一助として、バレエのレベルが上がることを切に願う。名古屋市千種区在住。85歳。(放送芸能部・長田真由美)

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