文字サイズ

全国ニュース

<九条を選ぶ>(上) イラクに学ぶ

「戦争の真実を知ったからこそ、9条の価値が分かった」と語る元米兵のウールソンさん=埼玉県で

写真

 衆院選が終盤に差しかかる中、憲法九条の改定を公約に掲げる自民党の優勢が伝えられる。平和国家として歩んできた「国のかたち」を根本から変えてしまう問題にもかかわらず、選挙戦では大きな議論になっていない。背景には、民主を含め与野党を問わずに広がる改憲への容認論がある。事実上、九条の選択を迫られる投票日を前に、自衛隊が海外派遣されたイラク戦争の実例をふまえ、元米兵や識者の言葉から九条の重みを再考する。

 銃撃で、後部ガラスが砕け散った乗用車。車内に、イラク人とみられる血まみれの子どもたちと男性が見えた。母親らしき女性が助手席から出ようとしていた。

 開戦間もない二〇〇三年六月。バグダッドへ向け、軍用車両を運転中だった米兵(当時)のアッシュ・キリエ・ウールソンさん(31)が目にした光景だ。

 助けようとブレーキを踏んだら、隣の上官に怒鳴られた。「止まるな。助ける必要なんかない」

 その場は命令に従った。しかしその後、イラク市民の暮らしを見かけるうち、通り過ぎた自分を責めるようになった。

 学費稼ぎが目的で地元ウィスコンシン州の州兵となり、イラク南部の激戦地ナシリヤなどに一年間、派兵された。「人を人間扱いしないのは絶対におかしい」。その思いが消えないまま、〇四年四月に帰国した。

 その十カ月後、中部地方に勤務する中堅の男性自衛官がイラク入りした。ナシリヤから西へ八十キロのサマワ。不測の事態を想定し、身を守るために武器使用が許されるケースについて、仲間と何度も話し合った。

 幸い、サマワは比較的治安が安定し、住民感情もよかった。給水や学校整備などの復興支援に当たる間、身の危険を感じる場面はなかった。彼は「ピリピリしていたが、一、二カ月すると慣れて気持ちが楽になった。家族は心配したが、余裕ができるようになった」と振り返る。

 激戦地に赴いたウールソンさんと、支援活動に従事した自衛官。二人の任務を隔てた壁は国籍ではなく、憲法九条の存在だった。

 軍事ジャーナリストの前田哲男さん(74)は指摘する。「九条が改定されれば、米国の戦争に無条件で引きずり込まれる恐れがある」。米国と同盟関係にある英国軍は、集団的自衛権を行使する形で開戦当初からイラクへの軍事行動に参加し、二百人近い犠牲者を出した。

 日本の自衛隊は当時時限立法のイラク復興支援特別措置法(イラク特措法)に基づいて派遣された。部隊の活動地域は「非戦闘地域」に限られ、銃器の使用も「正当防衛・緊急避難」が条件。武力と集団的自衛権の行使を禁じる九条が歯止めとなった。

 九年近くに及んだ戦争で、米兵の死者は四千五百人、イラク人の死者は十万人以上とされる。一方、サマワには二年半で計五千五百人の自衛隊員が派遣されたが、戦死者はゼロ。イラク人の命を奪うこともなかった。

 「日本の若者は、九条に守られていることをもっと自覚した方がいい。選挙では、きちんと考えた上で投票すべきだ」

 軍を辞めたウールソンさんは現在、芸術家として活動する傍ら、日本などで繰り返し講演している。

 <イラク戦争> 当時の米ブッシュ大統領は、イラクが大量破壊兵器を隠し持ち国際テロ組織アルカイダと関係していると主張。2003年3月、英国などとイラクへ侵攻し、開戦した。結果的に大量破壊兵器は存在せず「大義なき戦争」といわれる。日本は04〜08年にかけ、陸上自衛隊と航空自衛隊を派遣。昨年12月に米軍が完全撤収し、終結した。