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さまよう日章旗

<さまよう日章旗>(7) 時間の壁 帰れない魂

帰還した際に贈られた記念品を手にイラク戦争への思いを語るマイケル・ウィリアムズさん=米シカゴの自宅で

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 中田一郎。一九四三(昭和十八)年八月二十日、ソロモン諸島・コロンバンガラ島で戦死。静岡市出身。享年二十二。

 あの日章旗の持ち主が分かったことを本紙取材班の記者、奥田哲平(35)からのメールで知り、米オレゴン州に住む敬子・ジーク(46)は「うれしくて泣いてしまった」という。が、同時にこうも思う。「まだ、たくさんの“魂”が故郷へ、家族の元へ帰りたいと願っている」

 戦後七十年の来年夏(お盆)に向け、日章旗の返還に取り組む「OBON2015」を夫レックス(60)とともに主宰している。

 あの戦争の日本国外での戦死者は二百十万人。大切な人たちから贈られた日章旗はときに戦場で置き去りにされ、ときに戦利品として米兵などが持ち帰った。敬子によると、今も万単位の旗が本来の持ち主や、家族の元とは違う場所に散在しているとみられる。

 一郎の旗は例外と言っていい。夫妻が預かり、依然、素性の分からぬ旗だけで二十七枚ある。

 「上田主基男」という元日本兵の日章旗もそのうちの一枚だ。夫妻に旗を託した米シカゴ在住のマイケル・ウィリアムズ(33)は「何としても持つべき人に返還したい」と本紙ニューヨーク支局長の吉枝道生(46)に訴えた。

 旗は祖父の兄で、二十年以上前に亡くなった大伯父が日本兵を殺し、ヘルメットの中から持ち帰った−と聞かされていたという。

 マイケルは大学在学中、学費捻出のため志願して兵士となり、二〇〇五年から一年間、イラク北部ティクリートに派遣された。仲間の車両が爆弾で攻撃されたり、銃撃を浴びたりしたこともある。「もし自分が死んだら…」。想像したとき、真っ先に心をよぎったのは家族のこと。「どんな戦争でも、どちらの側にも同じ人間がいて家族がいる」。肌身でそう思えた。

 ただ、マイケルの願いがかなうのは難しそうだ。

 「上田主基男」に関してはマイケルが知る話とは違い、戦死はせず、戦後、北九州市に住んでいたことが既に分かっている。だが、旗のことが地元紙やテレビで報じられても、反応は無し。記者の奥田も旗に寄せ書きした人を訪ね歩いたが、本人や家族の消息を知る者はいなかった。OBONの依頼で調査を進める戦没者顕彰団体「福岡県郷友連盟」会長の吉田邦雄(70)は「昔を思い出したくない人もいるだろうし…。時の重さを感じる」と話す。

 あの日章旗の持ち主、中田一郎の両親はとうに他界し、出征直前に祝言を挙げたという女性も見つからなかったが、近しい親族が静岡市に暮らしていた。突如、現れた旗のことをどう思うだろう。奥田は親族の元へ向かった。

 (文中敬称略)

 =続く

 

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