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さまよう日章旗

<さまよう日章旗>(6) 返したい 米から祈り

「旗は家族の元へ帰るべきだ」。旗のレプリカをつくり、いつも持ち歩いているロレイン・エンライトさん=米バージニア州ウィリアムズバーグで

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 八月八日金曜日、もうすぐ午後五時になる。渋滞がひどくなる前に家路に就こうと、大学職員のロレイン・エンライト(58)は、米バージニア州ウィリアムズバーグにある職場のパソコンで最後のメールチェックをしていた。

 えっ。一通のメールに手が止まる。「素晴らしいニュースがあります…」。鳥肌が立ち、知らず涙がこぼれた。思わず、叫んだ。

 「分かったのね!」

 「一郎君」という日本兵への寄せ書きがある日章旗。米国で日章旗の返還運動に取り組む「OBON2015」からのメールは、本紙の取材で、持ち主が「中田一郎」と判明したことを知らせていた。

 南太平洋で戦死した一郎の日章旗を戦後、保管していたのがロレインの父、ジェイムズだった。ロレインが旗を見つけたのは今年一月。ぼろぼろで二つにちぎれていたが、戸棚の中に丁寧に折り畳まれていた。父が大切に扱っていたことが一目で分かった。

 一九七五(昭和五十)年に六十四歳で死去した父ジェイムズは、四二年十一月から三年近く、米軍人としてあの戦争を戦った。ジェイムズが持っていた記録によると、所属する歩兵師団はフィリピン・ルソン島などを転戦したとある。ただ、一郎が死んだソロモン諸島に関する記述は無く、どんな経緯で旗を手に入れたのかは分からない。

 ロレインによると、父は家族に戦争のことはほとんど語らず、旗のことも話したことはなかった。「もしかしたら、旗の持ち主と父は殺し合ったのかもしれない」。そう悩んだこともある。だが、たとえそうだとしても、これだけは信じられた。「どちらも国や家族のために戦場へ行った。同じように尊敬や栄誉を与えられるべきだ」

 だれよりも家族思いだった父。旗の持ち主にも帰るべき場所があったはず。日章旗を見つけてからしばらくして、ロレインは持ち主を捜してくれるよう「OBON」に旗を託し、分かるのを心待ちにしていた。

 実物は郵送したが、ロレインは旗の複製を作り、いつも持ち歩いている。職場を訪ねた本紙ニューヨーク支局長の吉枝道生(46)の前で、それを広げ「いつも身近にイチローの存在を感じている」と少し笑った。

 ロレインは願う。もし、遺族が許してくれるなら旗を直接、返したい。「イチロー」のために、遺族のために祈りたい。

 つい最近、日本では思いを千羽の鶴に込めて伝える、と聞いた。いつかは分からないが、そのときのために。まだ手つきはたどたどしいが、ロレインはネット通販で手に入れたばかりの折り紙を折り始めた。(文中敬称略)

 =続く

 

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