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さまよう日章旗

<さまよう日章旗>(3) 「無一物」禅語に込め

祖父の生前を振り返る柴田尚明さん=静岡市葵区で

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 「一郎君」という日本兵の日章旗には奇妙なところがある。旗の右上に全文が記された般若心経だ。一部ならともかく、全文を書き込んだ日章旗はかなり珍しい。結びに「露堂」という雅号があり、この人の手によるものだろう。ただ、随分、古い話である。静岡の仏教会に問い合わせても、分からないという。

 そんなとき、本紙取材班の記者、奥田哲平(35)が旗の寄せ書きに名前のあった故人の家で気になる情報を耳にする。「むかし、隣家の中田さんのところに、一郎って名前の戦死した人がいた」

 「中田一郎」。もし、彼の周辺に「露堂」がいれば、旗の持ち主である可能性は高まる。奥田はその家の菩提(ぼだい)寺だという静岡市葵区の瑞光寺へ急いだ。

 足が悪く、床をはうように玄関先に出た住職の柴田尚明(77)が言った。

 「露堂はわたしの祖父です」。南画の画家で、文人としても活躍した祖父、柴田普門がその人だった。

 瑞光寺は六十九年前の六月の静岡大空襲で全焼している。祖父たちと高台の茶畑に逃げ込んだ柴田は真っ赤に燃える街を見た。道端で丸焦げになった母子。檀家(だんか)の三十人余も命を落とした。「まさに地獄でした」

 戦後、焼け野原のバラックで暮らしていたころ、祖父が口にしたことが柴田には忘れられない。「日本はつまらないことをした。これで無一物(むいちもつ)になった」

 禅語の「本来無一物」。人間は心身に何も持っていないのが本来の姿だという意。欲や、憎しみにまみれた果て、何もかも奪い去った戦争を皮肉ったのだろう。「でも、あの時代、戦争に反対なんてできなかった」と柴田は言う。般若心経には死地へ向かう若者を見送るしかできない老僧のやるせなさが、にじんでいるようにもみえる。

 ただ、柴田も旗に見覚えは無かった。静岡県によると、本籍が県内にある「一郎」という名の戦死者は、把握しているだけで三百五十八人に上る。「一郎君」を中田一郎と断じることはできそうにない。

 一方、取材班の木原育子(34)は依然、寄せ書きに名のある人たちを尋ね歩いていた。ほとんどの人が既に世を去っている。唯一、かくしゃくとしていた静岡市の松永安太郎(87)も「一郎君」を覚えておらず、記名した人は同姓同名の別人の可能性が強い。そろそろ、空振りが三十人を超えようかというころだった。木原はある家のチャイムを鳴らした。

 =続く(文中敬称略)

 

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