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さまよう日章旗

<さまよう日章旗>(1) 「還りたい」泣く遺品

「持ち主を見つけたい」。書斎のパソコンで、OBON2015のホームページを開き、日章旗の画像を見る新井勲さん=横浜市港北区で

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 すぐ外の公園でボール遊びに興じ、子どもたちが笑っている。無邪気だなぁ、とうれしくなる。

 横浜市港北区の新井勲(79)の自宅の書斎には、子どもが子どもらしくいられなかった時代の遺品が幾つか。日本兵の所持品だったという手帳には、家族と面会するための外出許可証が挟まれている。さびた釣り針は日本で戦死した米国の飛行機乗りのもの。海に不時着した際の備えだったらしい。

 「日本兵も米兵も関係ない。みんな親がいる、兄弟がいる、友人がいる。遺品から『還(かえ)りたい』って泣く声が聞こえるような気がするんです」

 六十九年前の六月十九日、二千人の命を奪った静岡大空襲。横浜から疎開中だった十歳の新井は、はぐれた家族の名を呼びながら河原を歩いていたとき、米爆撃機B29が墜落した現場に出くわした。

 やじ馬の脚のすき間からのぞくと、血まみれの米兵が。白い肌、まだ若い。わずかに震える手足がだんだんと動かなくなっていく。「命が消えていくのが、はっきりと分かった」。鬼畜と教えられていた米兵は同じ人間に見えた。新井はなぜか、機体の破片を拾い、そこから逃げ出した。

 墜落に巻き込まれ、近所の豆腐屋の同じ年ごろの姉弟が亡くなったと知ったのは少し後になってから。「あ〜した天気にな〜れっ」。空襲の前日も姉弟と遊び、別れ際、ゲタを飛ばしたのを覚えている。結果は「晴れ」。あしたも遊べると思っていた。

 戦後、自動車販売業を起こし、六十五歳で一線を退いたころから、あの日のことをしきりと思い出すようになった。米兵の「遺品」と思えるB29の破片はずっと手元にあった。

 新井は足しげく静岡へと通い、当時の証言を集めた。連合国軍総司令部(GHQ)の記録から、あの米兵の身元を突き止めた。戦後、遺体は掘り起こされ、米ケンタッキー州の墓地に埋葬されていたという。ようやく四年前、破片を墓地の管理者へ郵送し、米兵の元に還すことができた。

 同じころ、亡くなった姉弟に生まれたばかりの妹がいて、静岡に住んでいることも分かる。既に両親が他界し、理由は不明だが、彼女は悲劇のことを聞かされておらず、一人っ子だと信じ込んでいた。新井の報告で泣き崩れた彼女は一族の墓に参り、新しい二人の家族のために祈った。

 新井には思える。「戦争のせいで、たくさんの人々の思いが今もさまよっているんじゃないか」。以来、戦争遺品を集め、遺族を捜して返還するボランティアに本格的に取り組むようになった。

 この夏、新井が捜し始めたのは、日本兵が出征の際に持っていった一枚の日章旗(出征旗)の持ち主だ。米国で日章旗の返還運動を続けている「OBON2015」というホームページの画像で目にした。「一郎君へ」とある。寄せ書きした人々の姓を見る限り、どうやら、この兵士も静岡の人らしい。

 (文中敬称略)

   ×    ×

 「一郎君」とは誰なのか。本紙取材班も持ち主を捜し始めた。一枚の旗をめぐる物語をたどりながら、六十九年がすぎたあの戦争について考える。

 

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