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文学の港 三国へ ゆかり作家の息吹 随所に越前ガニの水揚げで有名な福井県坂井市三国町。険しい崖でできた海岸線が続き、風光明媚(めいび)な観光地としても知られ、多くのゆかりの文学者が集い、さまざまな作品に取り上げられてきた。その景色に身を置き、作品の世界に触れようと、文庫本を片手に出掛けた。(担当・角雄記)
海は魂のルーツ 高見順ローカル線のえちぜん鉄道三国芦原線の終点、三国港駅から北西へ1キロ。日本海を見渡せる「荒磯(ありそ)遊歩道」の南側から東尋坊を目指して歩き始めた。三国ゆかりの作家や詩人らの詩などが刻まれた文学碑が並び、「文学の散歩道」とも呼ばれている。 しばらく行くと、三国生まれで昭和を代表する作家、高見順(1907〜65年)の晩年の詩「荒磯」が刻まれた碑が見えてきた。 三国ゆかりの文学に詳しい国語科の高校講師、張籠二三枝(はりこふみえ)さん(60)は「高見にとって、三国の海は魂のルーツ」という。 福井県知事の非嫡出子として生まれた高見は、逃げるように町を出た母に連れられ、赤ん坊の頃に東京へ移った。そうした生い立ちもあって三国とは距離を置いていたが、死を前にして、故郷へのあふれる思いを詩に仕上げたのだという。 碑は高見が“荒磯”と表現した日本海を望むようにして立つ。海を眺めて人の生と死に思いをはせた。
遠き白山を眺め 三好達治東尋坊を越え、海岸線の松林に沿ってさらに北へ進むと、赤い橋で陸地とつながる雄島が見えてきた。島に拝殿がある大湊神社によると、神を乗せてやってきたクジラが姿を変えて島になった、という伝説があるそうだ。 1944年から5年間、三国に滞在した詩人の三好達治(1900〜64年)。この雄島から眺めた白山の美しさに感動し、「春の旅人」という詩を残している。 島から白山が見えるのは空気の澄んだ冬の一時期で、条件が整えば能登半島まで見渡せる。今回は白山を拝めなかったが、日差しを受けて透き通る海の美しさに目を奪われた。
はかなき師弟愛 森田愛子北前船の交易で栄えた三国。町中心部の古い建物が並ぶ「三國湊きたまえ通り」に立つ登録有形文化財「旧森田銀行本店」を目指した。回船業で財をなした豪商・森田家が創業した。 豪商を父に、芸妓(げいぎ)を母に生まれた俳人森田愛子(1917〜47年)は病弱で若くして亡くなったが、美しく聡明(そうめい)だったという。三国を幾度か訪れた俳人高浜虚子は、愛子をヒロインとして登場させた小説「虹」を左の3句で締めくくっている。 「虹がかかれば、それを渡って会いに行きます」と、病弱ながら話した愛子。虹のように美しく、切ない師弟の愛を想像した。
豊かな人情 犀星も滞在坂井市三国町には、ゆかりの文学者が数多くおり、文芸評論家の浜川博さんは「全国的に見ても異色ある“文学の町”といえる」と評している。 詩壇の芥川賞と呼ばれる「H氏賞」は、町出身の実業家平沢貞二郎(1904〜91年)が創設。隣の丸岡町(現・坂井市丸岡町)出身の作家中野重治(02〜79年)は、旧制第四高等学校生だった当時、詩「ぼろ切」で三国の海を取り上げた。金沢三文豪の1人、室生犀星(1889〜1962年)も短い期間だが、三国で新聞記者をしていた。 三国に多くの文学者が集った経緯を、張籠さんは「偶然が重なったとも言える」としつつ、「三好達治の書簡には三国で人情味あるもてなしを受けたという記載がある。そうした人間性も影響したのではないか」と推測する。
作品世界 どっぷりばくのつぶやき高見順さんの「荒磯」の詩は、「祝福されずにひっそり誕生したように、ひっそりこの世を去ろう」という内容なんだ。「海が岸に身を打ちつけて/くだける波で/おれの死を悲しんでくれるだろう」ってくだりを初めて読んだ時は、胸がざわつくような何とも言えない気持ちになった。こうやって文学作品を思い浮かべながら眺めた景色は、やはりいつもと違って見える。今度は荒波が立つ冬に来よう。きっと白山も遠くに見えるはずだね。 ※次回は11日付Work&Life。心の病が原因の自殺予防に取り組む若者の動きを紹介します。 PR情報
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